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差別

 投稿者:YURA  投稿日:2017年 2月23日(木)13時24分44秒
   有名な作家の司馬遼太郎の随筆集「風塵抄」の中に標題の一章があり、興味を覚えたので以下にご紹介いたします。長い文章なので要点のみ抽出して記します。

  差別ほどうすぎたないものはない。よほど自己に自信がないか、あるいは自我の確立が出来ていないか、どちらかにちがいない。

  「ヨーロッパに20年も住んでいますが、家族をふくめて差別を受けたという感じを一瞬も持ったことがありません」。ホテルの支配人〈日本人〉がいった。「むろんヨーロッパ人は内心の奥の奥で、私を黄色いやつだと思っているかも知れません、なにしろヨーロッパ人は人種優越感情〈レーシズム〉の本家だったんですから」とその人はいう。
  「それが今は片鱗も見せないんです。教育のおかげというほかはありません。オランダでは小学校に入ると、徹底的に差別否定教育をやるんです」。
  アムステルダムの日系ホテルのロビーの一隅でそんな話を聞いたとき、ヨーロッパは今も文明の先頭にいると悔しいがそう思った。

  二年前ロンドンのヒースロー空港に着いたとき、間違ってインドに来たのではないか思ったほどに、インド人やパキスタン人が多かった。第2次大戦後、英国がかっての植民地を解体してゆく都度、それらを引き取った結果である。
  かって植民地をもっていたオランダも同じで、アムステルダムの人口の60パーセントは有色人だという。
  「彼らはオランダ国民なんです。オランダには国民という一種類しかありません」とオランダでは小学一年生から教え続ける。そうせねば一つには将来内乱が起こるという恐怖もあるのではないか。
  むろん行く末選挙によって彼らが政治を行うようになってもいいという見定めまである。世は変わったのである。

余談:本文中に述べられているアムステルダムの日系ホテルは「ホテル オオクラ」と思われるが、私は以前ヨーロッパ一巡の出張の折何回か同ホテルに泊まったことがある。その朝食のメニューに洋食と和食を選択できるとある。私は迷いなく和食を依頼。味噌汁に鯵の干物などが添えられていて、それまでの洋食攻め(?)に音を上げていた時から、懐かしい日本の味を心ゆくまで堪能させていただいた。
 

骨董依存症??

 投稿者:YURA  投稿日:2017年 2月 8日(水)14時00分29秒
    一般に依存症といわれるのは、アルコール、たばこと薬物が挙げられている。依存症の共通点は自分の意志でその量や頻度などをコントロール出来ないことを指していわれている。

  私はそれら準ずるものとして、競馬、競輪とパチンコなどのいわゆるギャンブルも準依存症として加えてもよいと思われる。たかがパチンコといえども、次第に深みにはまり、仲々抜け出せないということを新聞で読んだ憶えがある。

  私は更に骨董と称する古い内外の陶磁器類や書画などを蒐集することを趣味とする人が多くいて、これまた依存症的症状を呈するように見受けられる

  私はテレビは野球などスポーツ番組のほかはあまり見ないが、ただ一つの例外として毎週火曜日の夜に放送される「開運、なんでも鑑定団」という番組に大きな興味を覚えている。ゲストあるいは選ばれた視聴者から提示された骨董品などを、その道何十年という経験豊かな鑑定士が評価する番組である。

  番組の中で予め撮影された、依頼人の自宅の中の蒐集品を写すシーンが屡々現れるが、その数何千点とか部屋一面に広がり、中にはそのため別棟を建てたりと、そのコリ様は私ら部外者の目から全く常軌を逸しているというほかない。

  さて番組が始まり、それぞれ専門分野の鑑定人の面々が壇上に居並ぶ中、自慢の逸品と共に依頼人が登場する。その品を鑑定士が鑑定した(事前に鑑定したらしい)後に、司会者から促されて依頼人が自らの評価額を申し立てる。すると場内の電光掲示板に鑑定額が掲示されるという仕組みになっている。

  骨董品には非常に多く巧妙に作られた贋造品があって、素人の目で逸品と確信していた品が、本職の鑑定人の目には狂いはなく、例えば依頼人が何千万円と申告した品物に対し、鑑定額がただの一万円などという結果が屡々あり、満場の観客から爆笑を浴びる。

  その結果にこりればよいものを、さらに買い増すのが依存症的症状として現れる.時々催される「リベンジ大会」でそれらがはっきり立証される。以前と同じ人が同じ過ちを繰り返している場面に良く際会する。

  私ら部外者からすると、種々勉強したからと言っても、素人の域を脱しないまま、中には退職金をはたいてまでのめり込むのは依存症のしからしむところであると思うが、いい加減に止めなさいと忠告したくなる。

余談:わが家には故郷の松江出身で、昭和初期の宰相を務め、またロンドン軍縮会議の首席全権に任命された若槻礼次郎が、漢学者だった私の伯父の谷口廻欄に宛てた書簡があり、これはまぎれもない本物である。これがどれほどの価値あるものか,機会があったら鑑定してもらいたいものとかねがね思っている。


 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2017年 1月30日(月)08時47分56秒
  歌のサロンのページを更新しました。
1月の歌のサロンは出演者の皆さん和服姿で金屏風の前での演奏でした。
ここをクリックしてお楽しみください。

2月1日のゲストはピアノ矢島吹渉樹さん・トロンボーン佐々木匡史さんです。
若い男性二人のゲストです、お出かけください。
 

垂れ梅

 投稿者:シブスト  投稿日:2017年 1月29日(日)10時58分51秒
  江ノ島近くの常立寺の垂れ梅が咲き始めました。まだつぼみ状態の紅梅、白梅の木があるので、長く楽しめそうです。近くにお住まいのムジカの会員さんが、朝の散歩をしておられました。  

ロコモティブシンドローム(運動器症候群)とは

 投稿者:YURA  投稿日:2017年 1月26日(木)13時50分53秒
  骨、関節、筋肉などの運動器の働きが衰えると、暮らしの中の自立度が低下し、介護が必要になったり、寝たきりになる可能性が高くなります。運動器の障害のために、要介護になったり、要介護になる危険の高い状態が、ロコモティブシンドロームです。〈かかり付けの整形外科医から手にしたパンフレットから〉

  7つのロコモチェック
1 片足立ちで靴下がはけない 2 家の中でつまずいたり滑ったりする 3 階段を上るのに手すりが必要である 4 横断歩道を青信号で渡りきれない 5 15分くらい続けて歩けない 6 2Kg程度の買い物をして持ち帰るのが困難である 7 家のやや重い仕事(掃除機の使用、布団の上げ下ろしなど〉が困難である
  上記のうち一つでも当てはまれば、ロコモである心配があります。今日からロコモーショントレーニング(ロコトレ)を始めましょう。

 (パンフレットには数種類が表示されていますが、ここではその代表例として以下のものを示すにとどめます。ただパンフには図が描かれていますが、まことに残念ながらそれを表示することが出来ず、お分かりにくいと思いますがご了解のほど願います)

  スクワット(注)

●椅子に腰かけるように、お尻をゆっくり下ろします
●お尻を軽く下ろすところから始めて、膝は曲がっても90度を超えないようにします

深呼吸をするペースで5-6回繰り返します。これを1日3回行いましょう。

  まことに簡単で、図示出来なくお分かりにくいと思いますが、もしご理解されましたら試みに実行されんことを。私も先日来実践しておりますが、幾分か効果があるような気がしないでないようです。

注:自然体で立ち、手は両脇に下げ、足は半歩ほど広げ、踵(かかと)から30度くらい開いた状態から、膝を折り曲げる運動。

余談:私は「ロコモティブ」という言葉を聞いて、直感的にその昔中学の英語で習った「機関車」という言葉を思い出しました。そのほかに「自力で移動する」とか「移動能力」という意味もあることを辞書で知りました。



 

43年前のウィーンフィル新年コンサート

 投稿者:ヘ音記号  投稿日:2017年 1月23日(月)16時31分19秒
編集済
  今年も相撲の初場所が終わり、新年気分も薄れてきたようです。そこで、気分をぶり返すようですが、過去のウィーンフィルニューイヤーコンサートを振り返ってみました。市販のDVDや、動画のyoutubeにたくさん記録されています。その中から、1974年に、ウィリー・ボスコフスキーがバイオリンを弾きながら指揮した動画を取り上げてみます。

ボスコフスキーがウィーンフィルを退団後、このニューイヤーコンを始めたことや、ヨハン・シュトラウス管弦楽団を率いて何度か来日したことは有名ですが、彼の指揮する姿が記録されているものは少ないようです。1974年は、彼がニューイヤーコンを始めて20周年になります。そんな意味もあって、記念的な演奏記録といえるし、一見の価値ありです。(カラー映像)

まず、ボスコフスキーの弾き振りスタイルが懐かしいし、面白みもあります。弾かないときは楽器を椅子の上に置いています。「ピチカートポルカ」では、彼のピチカート奏法が見ものです。アンコールで登場の時、団員からプレゼントされた実物大バイオリンをかたどったウィーン風ケーキには驚かされます。「ラデッキーマーチ」の小太鼓連打がいったん止められたと思うと、打楽器奏者が指揮台のところまで持ってきます。すると、表面に20と書かれた小太鼓でした。そんなパフォーマンスも手伝って楽しい雰囲気となります。

旧コンマスのライナー・キュッヘルさんも、アシスタント・コンマス席で、若い姿が見られます。ワルツ「ウィーンの森の物語」のバレエ場面では、ウィーン娘の清楚な踊りが楽しめます。「美しき青きドナウ」のバレエは男女とも白い衣装で軽やかに踊ります。みなさん、このウィーン情緒をたっぷりと味わってはいかがですか。懐かしさと同時に新たな気分もわいてくることでしょう。下のURLをクリックしてご覧ください。
  https://www.youtube.com/watch?v=vfgvqWEFa54



 

森戸海岸の夜明け

 投稿者:シブスト  投稿日:2017年 1月15日(日)11時47分18秒
  満月の夜明け前に葉山の森戸海岸に行きました。満月が海を照らす写真を撮り、背景に富士山と江の島のある写真も撮りました。夜が明けてきて、富士山の周りの空が美しく染まってきました。
こんな早い時間にSUP(スタンドアップ パドルボード)が富士山の前の海上を横切りました。
 

この人誰かなあ(はみ出し)

 投稿者:やっとこ  投稿日:2017年 1月11日(水)15時17分12秒
  いつも遅れをとるやっとこでございます。

先輩各位の末尾にちんまりとおさまって
歌に散歩にカメラ撮影にと自由を謳歌する予定がことごとく挫折。

今や流浪の民となり、二束のわらじもままならず
はたまた二兎も追えず意気消沈。

ならばこの際、やり直し人生を歩もうかと思いつつ
朝寝朝酒風呂掃除にまい進中。
人生思うようにはなりませんな。

本年もよろしくお願い申しあげます。

 

この人誰かなあ⑤

 投稿者:肖像君  投稿日:2017年 1月11日(水)13時39分33秒
  掲示板をはじめから、見直して、ニックネームを拾い出しました。フェルマータさん(たぶん男性)フウセンさん(歌のサロン関係者女性らしい)やっとこさん(男性らしい)ラッタッタさん等々素晴らしいニックネームばかりです。(あんまり、ニックネームをあぶり出しても、あまり良い事ではありませんね。ニックネームはニックネームのロマンがあるのですから。これで、「この人誰かなあ」を終わります。失礼いたしました。  

この人誰かなあ④

 投稿者:肖像君  投稿日:2017年 1月 9日(月)20時01分10秒
  シブストさん、早速、有り難うございました。シブストさんは、どなたか、分かっていたのですが、意味が解らなくて、後回しにしようと思っていた所です。シブストさんらしい、ロマンチックなニックネームですね。私の「肖像君」は単純です。昭和3年生まれ、の昭三を肖像に置き換えただけです。ではまた続きを投稿させていただきます。新年のちょっとしたゲーム感覚で。  

この人誰かなあ③

 投稿者:シブスト  投稿日:2017年 1月 9日(月)16時37分9秒
  肖像君のお陰で少し見当がつきました。ところであなたはどうして肖像君なのでしょうか?
私「シブスト」は、渋いとかシブチンではなく、ケーキの名前です。
パイまたはスポンジのベースに、カスタードクリームとメレンゲのふんわりとしたクリームに、こんがり焦がしたカラメルの組み合わせ、その上にリンゴなどが載った美味しいお菓子です。違った味のハーモニーが素晴らしいのです。まるでムジカおさらぎのハーモニーのようです。
由来はフランスの菓子職人の名前で、正しくはシブーストなのでこれからそう書きます。
 

この人誰かなあ②

 投稿者:肖像君  投稿日:2017年 1月 9日(月)09時22分45秒
  ニックネームに、ご本人の名前、または名前に良く似たものを使っておられる方は、割合、多いようです。「ぴろりんさん」「順ちゃん」「yuraさん」「yuriさん」「てるてるさん」などでしょうか。
 

この人誰かなあ①

 投稿者:肖像君  投稿日:2017年 1月 9日(月)09時04分5秒
  ムジカの掲示板を見るのは、楽しみの一つです。だいたいの常連さんは、7、8人でしょうか。それらのニックネームを見て、誰かなあと想像してみたりもします。例えば「犬吠埼さん」。これは大変、謙遜されたニックネームだなあと感心します。犬吠埼とは、千葉県銚子のはずれ、即ち調子がはずれている。という揶揄です。ご本人は、どうしてどうして、バスパートの中心的素晴らしい声の持ち主なのです。「へ音記号さん」へ音記号は譜表上、かたかなへ音の位置を決める記号で、はじめFの字を使用したのが、だんだん模様化されて、現在のような記号になったもの。Fは、ご本人の頭文字で、これまた、バスの中心的存在です。  

追伸:望先生がご存じないのは無理ないですね

 投稿者:犬吠埼  投稿日:2017年 1月 8日(日)20時26分23秒
  ハイパーリンクについて昔のteacupの知識でした。
今はこの掲示板上の下線のあるアドレスをクリックするとyoutubeにつながります。
表示されているタブの×をクリックして終了すれば掲示板に戻ります。
 

望先生がご存じないのは無理ないですね

 投稿者:犬吠埼  投稿日:2017年 1月 8日(日)17時39分44秒
  我が国でシャンソンがよく歌われたのは1950年、1960年の頃ではないだろうか。
私が大学に入り、青春していた頃でラジオや喫茶店でかかっているレコードなどでよく聞いた覚えがある。大学で第二外国語にフランス語をとったせいもあり、今でもその頃のシャンソンの題名はフランス語ですぐ出てくるし、フランス語の歌詞もだいぶ覚えた。銀座に「銀巴里」ができたが、敷居が高く前を通っただけで、もっと小さいシャンソン喫茶などには行った。

だから、シャンソンよく聞いた年代の方々はムジカでも70歳以上だろう。望先生がご存じないのは当然である。
私はクラシック音楽は好きでよく聞いていたが、次がシャンソンで、ジャズに興味が出たのはその後である。

アダモはいくつもの曲を歌っているが、私は「サン・トワ・マミー」と「雪が降る」(私はこう覚えている)。「雪が降る」はフランス語の題名、歌い出しが「トンブラネージュ」と覚えやすいのでよく口ずさんではいたが、その頃はテレビもカラオケもない時代で、歌うことなんてなく、「ムジカおさらぎ」に入団して初めて歌うことを覚え、今シャンソンを歌えるのは楽しい。

アダモが歌っている「サン・トワ・マミー」と「雪が降る」はYoutubeに沢山載っているが、この掲示板は静止画像は入力できるが、動画、音楽の投稿を受け付けていないので(本来は可能だが、現在の管理状態では許可されていない)Youtubeのアドレスだけ載せておく。
掲示板上でこのアドレスをクリックするとYoutubeにつないでくれるが、戻るのは←ボタンを何度も押さないといけないので、見たい人は以下をwordにコピーしてから見るとよい。各アドレスの最後にカーソルを置いて改行する(Enterキーを押す)とハイパーリンクが設定される(下線がつく)ので、Ctrlキーを押しながら(行上でカーソルが指マークに変わる)クリックするとページが開く。

1.雪が降る:デビュー時の動画。Salvatore Adamo - Tombe la neige (1963)
https://www.youtube.com/watch?v=cNV4uQ1zHEg
2.雪が降る:日本語 日本語版レコードジャケット静止画
https://www.youtube.com/watch?v=zVqUJTMo1z4
3.サン・トワ・マミー:デビュー時の可愛いアダモ。Salvatore Adamo - Sans toi ma mie 1963
https://www.youtube.com/watch?v=xS2cHDko2wM
4. サン・トワ・マミー:日本公演ライブ 日本語+フランス語 “女の心”の歌詞を“男の心”に変更しているのがご愛敬。Salvatore Adamo (Live in Japon) - Sans toi mamie
https://www.youtube.com/watch?v=eZ9uH5uUbxo

ちなみに、前回書いた忌野清志郎のサイトはYoutube側で削除されてしまった。ヘビメタのサン・トワ・マミーでおもしろかったのに。
 

わが追想の初日の出紀行

 投稿者:YURA  投稿日:2017年 1月 5日(木)15時53分42秒
    いつのことか定かでないが、私が毎年のように初日の出を拝するようになったのは、たしか60歳代になってからと推測される。

  初めのうち何回かは大船の我が家から今泉台を経て、山道を半ば走るようにして急ぎ、ゴルフ場の裏山から大勢の人に交じって見物することを常としていた。

  当時ジョッギングをしていたので、次いで自宅前の県道を江の島目指して一目散、岩屋から初日を拝したり、島に渡らず海岸通りを韋駄天走り、偶々稲村ケ崎にさしかかった時刻に日の出となる様相に、急ぎ人の後について岬の反対側の山頂から初日を拝んだ。

  また当時会社の同僚の茅ケ崎の住人に誘われて、大磯の裏山の「湘南平」に行ったのが最初で、それが縁で以後10数回通うようになった。

  山そのものはそう高くはないが、遮るものがあまりないため見晴らしは絶好、下には相模灘、烏帽子岩の姿も望める。西には伊豆半島の山々、丹沢山脈を従えるように玲瓏たる富士の峰。朝日が昇るにつれ冠った雪が麓に向かって次第に紅色に染まる光景はまさに「息を飲む」という表現がピタリとあてはまる。

  そんな初日の出紀行も寄る年波には勝てず、数年前徒歩30分の台峰に行ってみたが、その急坂にアゴを出しやっとの思いで頂上に達し初日を拝んだが、一回でコリゴリ。

  一昨年モノレールに便乗、やや高台にある目白山という駅で多数の人に交じって初日の出を拝んだのが最後になった。

  申し遅れましたが、
      あけましておめでとうございます。
      今年のムジカの更なる発展と、皆様方のご健勝を心よりお祈りいたします。



 

新春ギャラリー展

 投稿者:シブスト  投稿日:2017年 1月 5日(木)08時32分45秒
  1月4日、鎌倉市長の挨拶で恒例の「新春ギャラリー展」が始まりました。今年は「写真の力」をキーワードにして、いろいろな文化活動の写真が展示されています。写真連盟は各所で入賞した写真を展示し、中央図書館は50年ほど前の鎌倉各所の懐かしい写真を展示しています。文化協会は傘下の20の連盟それぞれの活動を写真で見せています。合唱連盟のパネルの中央には、むじかおさらぎの大きな舞台写真があります。美術、書道、彫刻、演劇、マジック、リコーダーなどなど鎌倉の文化活動の全容が写真で見られます。
8日(日)まで学習センター地下のギャラリーで開催されているので、6日(金)の練習の後でもご覧ください。
 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2017年 1月 3日(火)19時41分6秒
  ホームページ委員歌のサロンのページを担当しています「フーセン」です。
掲示板をご覧になって頂きまして有難うございます。
今年も皆さまに楽しんで頂けるページを作るよう委員会は努力してまいります。
どうぞ宜しくお願い致します。

12月歌のサロンのページを更新いたしました。
ココをクリックしてお楽しみください。


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2017年ウィーンフィルニューイヤーコンサート

 投稿者:ヘ音記号  投稿日:2017年 1月 2日(月)13時48分14秒
編集済
  ムジカのみなさん、新年おめでとうございます。
今年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートはほんとうに楽しい聴き初めて゛した。ベネズエラ生まれの若い指揮者による演奏でした。彼はウィーンフィルをすでに50回も指揮しているそうです。そのせいか、ウィーンフィルの伝統的な優雅さに加え、指揮者ドゥダメルの軽やかな明るさがよくなじんでいました。

ウィーンフィルでお馴染みのライナー・キュッヘルさんは退団され、コンサートマスターは代わりましたが、女性のアシスタント・コンサートミスを加え、7人ほどの女性奏者の姿が映されていました。一曲終わるごとに、ドゥダメルはコンマスやコンミスと握手を交わし、楽員全員を立たせている様子など、オケメンバーを称えているいるところにも感銘を受けました。

前半のスケーターズワルツ、後半のチク・タク・ポルカ等の軽やかなこと・・・。そして、アンコール曲のポルカ「喜んで」や「美しき青きドナウ」でも、ドゥダメルの軽快さが滲み出していました。青きドナウでは過去に演奏されたバレエ場面からの映像が回想風に流されていたのが効果的でした。恒例の「ラデッキーマーチ」になると、指揮に合わせた観客の手拍子がたいへんよく揃っていました。このお客さんたちにも拍手を送りたい感じでした。

ところで、今年はバロック時代に活躍したイタリアの作曲家、モンテヴェルディ生誕450周年を記念する年に当たります。彼の作曲したオペラ、「ポッペアの戴冠」や「オルフェオ」が有名です。日本でも昨年10月に、鎌倉八幡宮の舞い殿で、オルフェオ・ジャパンと銘打った公演がありました。このときの様子はNHKテレビで放映されたので、ご覧になった方もあると思います。能や日本舞踊や雅楽も取り入れた上演であったようです。見逃したのが残念でした。

2017年の今年、我らの歌うモツレクやシャンソンが、ウィーンフィルのニューイヤー・コンサートのように明るく、楽しい年であるよう、願っています。
 

わが最も深き印象の歩け大会

 投稿者:YURA  投稿日:2016年12月27日(火)15時29分53秒
    私は旧制中学の後半頃より山歩きなど歩くことに魅力を覚え、既述のように18歳のころ、真夏川崎の登戸から明治神宮に至る100キロのコースを夜を徹して歩く大会に参加したほか、60歳を過ぎても参加した無数の歩け大会の中から最も印象に残るものを抽出して以下にご紹介します。

Ⅰ 日光、中禅寺湖畔一周の大会
  これも真夏に弟と共に参加した。前日早く到着し奥日光の戦場ヶ原を散策。立ち並ぶ白樺林、中でも一際立派な「女王」(?)とも呼ばれるもの、湯の滝と称される見事な滝など見物した後民宿に到着。ひと風呂浴びた後ビールを飲みながらのすき焼きを堪能。翌朝食事もそこそこにスタート地点に向かった。25キロに及ぶコースは平坦と思いきや、半ば以上は細く険しい山道で大いに難儀した。そのため1時間5キロと計算し5時間もあれば十分完歩出来るとの予測は大幅に狂い7時間余もかかったのにはいささか驚かされた。ゴールで待ち構えた写真班に二人並んで撮影された。後のビールの味は格別だったことは言わずと知れたこと。

Ⅱ 横浜の保土ヶ谷区内一周の大会

  これには区内在住の弟に誘われて参加したが、季節は晩春の頃の27キロを歩く大会。多数の同好の士とスタートしたが、間もなくそのスローペースにあきたらなくなって途中からピッチを大幅に上げ、10数分もすると遥か彼方に二人連れの仲間を発見。良き目標と懸命に歩くうちに追いつき、しばらくすると相手は徐々に遅れ始めた。ふと前を見ると後ろに小旗をひるがえしつつ走る先導らしき自転車を発見、ということはどうやらトップになったらしい。そのまま更にピッチを上げゴールインしたが、到着後係員らしき人からインタービューを受け、翌月の区の広報に掲載された。

Ⅲ 「歩け鎌倉」の第一回大会

  今でも行われていると思うが時は5月末。私はその最初の大会に参加し、一着でゴールに到達した。第一小学校をスタートし、鎌倉宮から獅子舞ケ谷を登り鎌倉アルプス(?)を経由、今泉台を降って街中をひたすら歩き、大船駅を越えて玉縄ー深沢―鎌倉山―七里ガ浜から腰越の浄泉寺をゴールとする23キロのコースをトップで踏破し、記念のタオルを贈られた。
  その後も大会には毎年10数回参加したが、コースは15キロと10キロに短縮されたようだ。

追記 1 私の当時の膝の筋肉は相当強靭なものであったと思うが、その後の鍛錬を怠ったため、筋力は次第に大幅に衰え、今では日常歩くのに杖(注〉が頼りという情けないことになり、大いに悔やんでおります。(注 その杖はオーストリア産のもので10数年山歩きに愛用していた)

追記 2 私の今年中の埒もない話にお付き合いいただき、まことに有難うございました。皆様方におかれましては、来年も一層よい年でありますようお祈りいたします。


 

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