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敗戦の頃を追憶して

 投稿者:YURA  投稿日:2016年 9月13日(火)21時11分8秒
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   既述のように、当時わが部隊は中国の中南部にある州都の長沙の奥にある山地で陣地構築中、昭和20年8月18日〈奥地で伝達が遅れて〉の夕刻突然中隊長から集合を命ぜられ、敗戦を告げられた。

  その宵常連の悪党(?)5-6人が集まり酒宴が催され例の強い地酒を浴びるほど飲んだ揚句、翌朝私の枕元は落花散乱。中隊長からこっぴどく叱責されたのは勿論のこと。

  それから半月ほど経過して降伏式が行はれたが、その場に没収されたわが軍の各種兵器がうず高く積み上げられていた。

  それ以前に部隊本部から命令があり歩兵銃に刻印されている「菊の紋章」(天皇から下賜されたという記し)を削り取れという。戦いに敗れてなお天皇の尊厳にこだわる、なんというバカげたことと嘆くことしきり。ちなみに初年兵時代小銃の手入れが悪く少しでも汚れていると、古兵から「恐れ多くも天皇陛下から賜った銃を汚すとは何事か」と大きなビンタを食らうこと必然。

  その降伏式には敵方の司令官が騎乗して、整列している大隊全員の前を閲兵して廻っていた。なんとその馬はつい先日までわが大隊長が乗っていたものである。一方わが方の大隊長以下全将校は無腰(軍刀を腰に下げていない)の哀れな格好に今更ながら悲哀の感慨を覚えた。

  その後度々中国側から私物検査が行われ、時計とか万年筆など目ぼしいものは残らず没収された。

  また天幕宿営中、刀や鍬など凶器を持った多数の暴漢に襲われ、毛布など盗まれるのを目にしながらも、何ら抵抗する手段もない我々は拱手傍観するほかなかった。

  考えてみると、我々日本軍も戦時中それ以上の悪辣非道の振る舞いに及び、その報いとも思われ隠忍自重するほかなかった。

  かくて中国側からの命令で,道路工事など重労働を課せられる一方、生命維持にかつがつ間に合わせる食糧を支給されることほぼ一年にして、ようやく帰還のための無蓋貨車の旅が始まった。やれやれ。


 
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