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Re: 悲の器

 投稿者:薄氷堂(管理人)  投稿日:2008年12月 7日(日)22時31分20秒
返信・引用 編集済
  > No.22[元記事へ]

>canoさん

 いらっしゃいませ。

> 私が席を立つ間際、「高橋和巳」という質問に「かなしみのうつわ」と答えていて、「それ違う!」と思いました。

 大学生のカップルが文学史というよりも最近はやりの「雑学」の対象として高橋和巳をと
らえているような印象を受けるエピソードですね。

 おおかたの大学のキャンパスがこぎれいな平和の園と化し、フランスあたりなら大騒ぎに
なっているはずの劣悪な雇用情勢にもみなじっと耐えているわが国の変わりようを見れば、
音読みが訓読みになってしまうのもふしぎはないという感じがいたします。

> 亡くなった作家には新作が出ないという事実に気づき、ほとんどの小説を読んだ後は高橋和巳を封印していましたが、また読み始めようかなと思います。

 私は封印こそしてはいないのですが、読もうとして手に取っては、気が重くなって本棚に
もどすということを繰り返しています。

 そんなとき茶の間のTVから芸のない芸人たちの発する甲高い関西弁が流れてくるのを聞
くといっそうやりきれない気分になり、ついアルコールに頼ってしまう情けなさです。自分
こそ「ひのうつわ」が「かなしみのうつわ」になってしまったのかもしれません。

 最近勉強不足のダメな管理人でまことに申し訳ありませんが、どうかまたおいでください。

http://homepage3.nifty.com/hakuhyodo/

 
 

悲の器

 投稿者:cano  投稿日:2008年12月 7日(日)21時39分43秒
返信・引用
  金曜日にイタリアン・カフェで休憩していると、大学生くらいのカップルが隣に座り文学史の勉強を始めました。作家と作品をマッチングさせる質問を交互に出し合っていました。

私が席を立つ間際、「高橋和巳」という質問に「かなしみのうつわ」と答えていて、「それ違う!」と思いました。しかし、長年間違えていたのは自分かもと知れないと少し怖くなり、ネットで確認していて、このサイトに辿り着きました。

亡くなった作家には新作が出ないという事実に気づき、ほとんどの小説を読んだ後は高橋和巳を封印していましたが、また読み始めようかなと思います。
 

いいものを見つけました。

 投稿者:gatayan  投稿日:2008年10月14日(火)14時25分6秒
返信・引用
  昨日、何気なしに書棚をいじってみたら、雑誌「文芸」の高橋和己追悼号が出てきました。その、時代を感じさせる装幀、思わず手にとってしみじみ見入ってしまいました。時間を見つけて読み返そうかと思っています。

http://blog.livedoor.jp/oomiwa393/

 

Re: (無題)

 投稿者:薄氷堂(管理人)  投稿日:2008年 9月28日(日)23時33分2秒
返信・引用
  > No.19[元記事へ]

>gatayanさん

 ようこそおいでくださいました。

>  これから、思うことがあれば 立ち寄らせて頂きたいと思います。

 管理人は黒子に徹するべきだと考えているのが半分、最近高橋和巳どころか読書全般
サボっているため、はずかしくて書き込みできないのが半分、掲示板の停滞ぶりには心
を痛めつつも沈黙を守っております。

 どうかこれからもときどきご投稿くださいますようお願いいたします。

http://homepage3.nifty.com/hakuhyodo/

 

(無題)

 投稿者:gatayanメール  投稿日:2008年 9月28日(日)08時26分0秒
返信・引用
   このようなサイトがあること今日初めて知りました。高橋和巳を読み始めてから、25年ほどになりますか。彼にとっては遅れてきた読者と言うことになろうかと思います。
 これから、思うことがあれば 立ち寄らせて頂きたいと思います。

http://blog.livedoor.jp/oomiwa393/

 

憂鬱なる党派=苦悩教:教祖~高橋和巳

 投稿者:御影暢雄メール  投稿日:2008年 8月23日(土)19時48分1秒
返信・引用
  以前にも書きましたが、昨年まで「憂鬱なる党派」=憂鬱なる党派の存在・葛藤と信じ込んでいました。60年代の半ば過ぎ、はじめてこの本を手にした動機は、自分も含め多くの青年達が、空想的社会主義のヒューマニズムから出発して政治にコミットするようになったのに、”○○派だ!民青だ!”と違うセクトといがみ合うことを、どう理解すべきか悩んでいたからです。私は題名を、「憂鬱なる党派の存在」と理解していたのですが、間違った解釈でした。しかし、多くの青年学生を惹きつけるタイトルであったと思います。  

憂鬱なる党派との出会い

 投稿者:春田 亮  投稿日:2008年 8月12日(火)19時01分29秒
返信・引用
   わたしが高校2年の図書館で出会ったのが最初である。40年以上まえのことで、
はっきりとは記憶していないが、「罪と罰」同時期に読み、不思議と主人公の生き方が
類似していたことを今でも鮮明に思い出します。
 

Re: 命日

 投稿者:薄氷堂  投稿日:2008年 5月 3日(土)22時51分28秒
返信・引用
  > No.15[元記事へ]

>野口邦夫さん

>  本日ですね。改めて....思い出したものですから。

 1971年5月3日享年39歳でしたね。

 野口さんの書き込みを拝見し、ひさしぶりに『わが解体』を手に取ろうとして本棚
を探したら、なぜかみつかりません。

 十年前なら目をつぶっていても本のありかがわかったのに、最近こういうことが多
く、ちょっとショックです。

http://homepage3.nifty.com/hakuhyodo/

 

命日

 投稿者:野口邦夫  投稿日:2008年 5月 3日(土)06時32分27秒
返信・引用
   本日ですね。改めて....思い出したものですから。  

(無題)

 投稿者:御影暢雄メール  投稿日:2008年 2月 3日(日)21時42分3秒
返信・引用
  高橋たか子著「高橋和巳の想い出」について、これから少しずつ紹介していきたいです。順不動で恐縮ですが、あとがきにこの本のエッセンスが書かれています。
「・・・これほどの苦労をしてどうして別れもせずに17年間も一緒にいたのか、と訊ねる人がいるとすれば、その問いにははっきり答えがある。私は終始、主人の頭脳にこの上もない尊敬の気持を持っていたのであって、この尊敬は一切を覆って余りあるものであった。Ⅱ(同著Ⅱ章)におさめられている「かわいそうな人だいつも思ったこと」は、「群像」の高橋和巳追悼記念号に載った時、いや、その後いついつまでも長く、私が常識を蹴とばすようなことを書いたというので大変な話題を呼んでしまった。特に、狂人という言葉にひっかかった人が多いようであった。こと文学にたずさわっている人で、この程度のことに肩をひそめる人が多かったのは、まことに遺憾なことである。第一、狂人という言葉を、私は讃辞として使ったのだ。作家芸術家で狂人でない人がいるとすれば、それは作家芸術家ではないだろう。また、ここに書いたことは、私が主人の在世中にこっそり観察していて、亡くなった途端に公表した、というふうに見た人も多かったようだが、そうではないのである。私は当の主人自身に自閉症の狂人云々の話をしている。主人は笑い、その通りだと言っていたのである。」
 

埴谷雄高

 投稿者:御影暢雄メール  投稿日:2008年 1月12日(土)13時17分1秒
返信・引用
   高橋和巳作品集NO6(河出書房新社)を手に入れました。「日本の悪霊」「暗殺の哲学」「散華」「散華の世代-往復書簡」「巻末論文-埴谷雄高」が収められています。
 興味深いのは、往復書簡の中で埴谷・高橋がポーランド映画「灰とダイヤモンド」(アンジェイ・ワイダ監督)の一場面を、世代間の葛藤を象徴する映像と例えて引き合いに出して語っていることです。私も「灰とダイヤモンド」には強い思い入れがあるのですが、埴谷・高橋が世代論の材料として言及していたとは驚きました。主人公マチェックは孤独なテロリストで、敵対する党派のリーダーを暗殺します。書簡では、その場面が印象的な、象徴的なハイライトとして語られています。「灰とダイヤモンド」が公開された時、マチェックがサングラスをかけて無言で徘徊するシーンは多くの映画人・文化人・若者に強烈な印象を与えたそうですが、埴谷・高橋もそうであったと思われます。「心は孤独な哀しきテロリスト」=マチェックは高橋の小説の主人公と重なる影を背負っていたように思い出されます。
 

Re: 「高橋和巳の思い出」 高橋たか子著

 投稿者:管理人(薄氷堂)  投稿日:2008年 1月 3日(木)23時03分35秒
返信・引用
  > No.11[元記事へ]

>御影暢雄さん

 新年のご投稿、まことにありがとうございます。本年もどうかよろしくお願い申し上げ
ます。

 こちらの掲示板では管理人は黒子に徹するつもり……というより、自分のサイトやブロ
グで手一杯、とても余力がないものですから、さっぱり書き込みせず、申し訳なく思って
おります。

 ここ数年ほとんど書物を打ち捨てて、読むヒトから見るヒトへ変身してしまった私です
が、ご推薦の『高橋和巳の思い出』を探して読んでみるつもりです。

http://homepage3.nifty.com/hakuhyodo/

 

「高橋和巳の思い出」 高橋たか子著

 投稿者:御影暢雄メール  投稿日:2008年 1月 3日(木)21時59分3秒
返信・引用
   昨日、家内の実家で義父の残した蔵書から、「高橋和巳の思い出」(高橋和巳著)を見つけました。(1977年初版で、見つけたのは1979年20版の書)帯のコピーには、「高橋和巳文学は本質的に虚無僧の文学である」という同著の最高のエッセンスが紹介されています。11篇の「思い出」が収められれていますが、あるものは高橋が亡くなった直後の文芸誌で読んだ記憶があります。今、読んでいる途中ですが、高橋文学と彼の精神構造を考えるうえで欠かせない
い、重要ないくつかの指摘がのべられていて、大変興味深いです。たか子氏は、「精神的には高橋が女で私が男だった。」と述べていますが、これは「捨子物語」を裏書するような証言といえます。初めて知ったことは、たか子氏が高橋の殆どの小説の「清書」を受け持っていたことです。たか子氏という献身的なサポーター無くして、高橋文学は世に出なかったと感じ入ります。高橋文学を研究される方には、必読の書といえるのではないでしょうか。
 

カラマーゾフの兄弟

 投稿者:御影暢雄メール  投稿日:2007年11月 7日(水)22時23分18秒
返信・引用
  昨年来、亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」がベストセラーになっています。若い読者にもよく読まれていて、若者が文学から遠ざかったという神話を覆す現象が起きつつあります。亀山氏は最近のインタビューで「カラマ」の時代背景(農奴解放とそれ以後の社会の混乱)と今の日本に共通項があると推察されていました。ドストエフスキーをよく読んだ高橋和巳も、とりわけ「カラマ」には大きな影響を受けたのではないでしょうか。埴谷雄高「死霊」と「カラマ」を比較する文学論が、これまで多々述べられてきたことは知られていますが、高橋が長編小説を志向するようになった原点の一つに「カラマ」は存在していたように私は推察します。「悲の器」の中の主人公の若き頃の「ヰタ・セクスアリス」のEPISODEは、ドストエフスキーの世界の再現のように私には思えます。「カラマ」の、高橋の文学への影響を分析すると面白そうです。  

魂懇(こん)よ反れーー10月19日・日録より

 投稿者:太田代志朗メール  投稿日:2007年10月19日(金)18時06分43秒
返信・引用
  2007年10月19日(金)
晴。整体治療を受けて家に帰ると待っていた安寿が甘え纏いつく。夕方小雨。

「新しく家を建て、元気になったら魚釣りに行こ」と、東京女子医大の病室で死に喘ぐ高橋和巳(1936~1971)は最後の力を振り絞り不可能な夢を見続けた。
それは<幻想の家>における再生の祈りであり、大腸ガンで手術した腹部の傷跡こそ己の業(カルマ)であることを自認していたからだった。

この”無頼の点鬼簿”を脇目に存えて、また私はあえかな幻想の家を試みる。つまり書庫、書斎、リビングルーム、茶室、それに盆栽や陶芸のワーキングルームなどの設計プラン。

おお、魂(こん)よ反れ。「怒涛にゆらぎ義を立つるべき」(山中智恵子)とよ。

http://www.uranus.dti.ne.jp/~ohta

 

小松左京「哲学者の小径」

 投稿者:御影暢雄メール  投稿日:2007年 9月24日(月)21時24分39秒
返信・引用
   小松左京の昔のショートSFに「哲学者の小径」というのがあります。これは京都の有名なお寺の近くの散歩道を舞台にしたもので、中年3人組がタイムスリップしてきた学生の時の自分達3人組と遭遇するという内容です。主人公(小松)の友人の一人が高橋和巳がモデルであることは言うまでもありません。主人公達がその夜、昼間にあった学生と飲み屋で鉢合わせし、互いに絡んで喧嘩になります。主人公が酔いつぶれて帰宅し、ふと学生時代の日記を紐解くと、中年3人組と喧嘩をしたと記されていた・・・・。この話には、小松らが体験した学生運動のトラウマが読み取れます。(「憂鬱なる党派」でも触れられている、昭和20年代中期の共産党の武装闘争時代。)短い小説で、SFという形を取っていますが、「青春とは何か」を考える永遠のテーマを語っていると思います。高橋のモデルが他の作家の小説に登場している、珍しい作品でもあります。  

浪速の臭いの希薄な高橋和巳の世界

 投稿者:御影暢雄メール  投稿日:2007年 9月18日(火)20時56分55秒
返信・引用
   高橋和巳は生粋の浪速っ子ですが、彼の小説・随筆には何故か小松左京・開高健のような浪速の臭いが希薄です。「憂鬱なる党派」は大阪が主たる舞台ですが、「さすが大阪の人間が書いた」と思わせるようなくだりが見当たりません。彼が大阪の出身と聞いて、「あ、そうだったの?」と思う人も多いのではないでしょうか。その理由は、これから皆さんとともにこの掲示板で深めていきたいのですが、私に思い当たることは、高橋が十代の後半に島根県松江市で2年間過ごしたことが大きく関与していると推察します。彼が文学全集を乱読し、小説の世界に浸るようになったのもこの頃だとされています。何故、そのような考えを抱くかというと、私自身が大阪生まれ大阪育ちでありながら、大学生活は三重県で過ごしたからです。大阪を出る時は、大阪出身を誇りとしていました。しかし大学の4年の頃には、たまに帰る大阪に何となくゴミゴミした嫌悪感を抱くようになっていました。大阪から三重(津市)に戻ると、ホッとするようになっていました。高橋は、松江での牧歌的な学生生活の中で、自然に恵まれた環境を堪能し、大阪と距離を置くような感性を抱くようになったのではないでしょうか。高橋が鎌倉に移り住んだのは、京女の奥さんが京都を嫌ったからだと聞いています。自分の生まれ故郷に疎外感を抱く-、高橋の文学の底流にそうした感性が秘められているように私は分析します。  

Re: 高橋和巳を読む

 投稿者:管理人(薄氷堂)  投稿日:2007年 9月16日(日)21時34分11秒
返信・引用
  > No.5[元記事へ]

>ガ-シュンさん

 ご投稿ありがとうございます。

> 彼の作品だけは私が寝転がって読むことを拒否した。

 そのお気持はよくわかります。

 『憂鬱なる党派』の後遺症といったらいいのでしょうか、ぼくは次の長編
を手にするのを長くためらっています。もちろんけっして忘れることはなく、
胸の奥底に打たれた釘はなかなか抜けようとはしません。

 ぜひまた文章をお寄せください。

http://homepage3.nifty.com/hakuhyodo/

 

高橋和巳を読む

 投稿者:ガ-シュン  投稿日:2007年 9月15日(土)16時26分42秒
返信・引用
  学生時代読書に三昧の毎日、友人の書棚で見つけたのは憂鬱なる党派
それから高橋和巳を読むことになるが、よく寝転がって本を読む自分であったが、
彼の作品だけは私が寝転がって読むことを拒否した。
 

「大本襲撃」(毎日新聞社刊)

 投稿者:御影暢雄メール  投稿日:2007年 8月12日(日)20時38分40秒
返信・引用
   毎日新聞社から最近、「大本襲撃ー出口すみとその時代」が出版されました。出口すみは、出口王仁三郎の妻であり、開祖出口なおの末っ子でした。昭和10年の第二次大本事件で王仁三郎らとともに逮捕され、6年半も投獄されました。言うまでも無く、高橋和巳の「邪宗門」は大本教をモデルとしており、「邪宗門」の時代背景と大本教への理解を深める上で、興味深い本が出版されたといえます。大本教を壊滅する前に、内務省・特高は共産党や左翼勢力に対する弾圧を徹底的に行っており、そのクライマックスが昭和8年の小林多喜二虐殺でした。昭和10年には共産党は、組織が壊滅したとされています。内務省・特高は、次の危険団体は大本教だと襲い掛かったように見えます。大本教は、私は断片的な知識しか持っていないので恐縮ですが、軍隊の高級将校クラスにも信者が少なからずいて、軍隊への影響を権力が危惧していたこと。出口王仁三郎は、「日本が戦争に負ける」という”予言”を明らかにしていたこと―が大本教が弾圧された理由だとされてきました。今回の「大本襲撃」にはそのあたりが、より詳しく記述されているのではと期待されます。
 改憲論議がこの数年活発となり、現行憲法を守らんとされる方々が、戦前の特高の弾圧の歴史を強調されますが、弾圧は左翼も民間宗教も含めて、投網にかけるように根こそぎに行われたことも注視しなければと私は思っています。大本教への弾圧も、多喜二の虐殺と同じく忘れてはいけない
事件ではないでしょうか。もっと大本教の事件も、注目をされるべきではないかと思っています。

 余談ですが、高橋の親友・小松左京は、朝日ジャーナルに「邪宗門」が連載されはじめた時、やっと高橋の才能が全面開花したと興奮を覚えたと述懐しています。同時に小松の小説「日本アパッチ族」にヒントを得ているなとピンと直感したといいます。後日、小松が高橋にそのことを、「邪宗門」をほめつつも指摘すると、「ばれたか!」と苦笑いして認めました。二つの作品のコンセプトの相似性を探求すると面白そうです。
 

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