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シェルブールの雨傘

 投稿者:肖像君  投稿日:2016年 5月14日(土)12時56分11秒
  監督、ジャック・ドウミ、音楽 ミシェル・ル・グランのミュージカル映画に出てくる音楽です。この映画は、1964年、第17回カンヌ国際映画祭でグランプリをとった映画です。内容 第1部 アルジェリア戦争の最中、フランスの港町シェルブールにギイという20歳の自動車整備工と17歳のジュヌヴィーヴは、恋人同士であった。ギイは病身の伯母エリーズとジュヌヴィーヴはシェルブールで傘店を営んでいた母エリーズと暮らしていた。将来の事を語り合って幸せだったがギイに召集令状がきて、2年間兵役につく事になった。その日、二人は結ばれ、ギイは、幼なじみのマドレーヌに伯母の世話を頼み入営した。第2部莫大な納税に苦しむ伯母は、宝石を売って納税に充てようとしたが、なかなか売れない。そこへあらわれた、ローラン・カサールが、宝石を買い取ってくれた。ローランは、前からジュヌヴィーヴを見初めており,ギイを待ちきれなくなったジュヌヴィーヴはローランと結婚してしまう。第3部足を怪我して除隊になったギイはすべてを知って自暴自棄になり、酒におぼれる乱れた生活におちいる。やがて幼なじみのマドレーヌの励ましに立ち直りマドレーヌと結婚し、ガソリンスタンドも順調にいく。第4部 時は流れ、或る雪の夜、ガソリンスタンドに給油のため、1台の車が停まる。その運転席には、あのジュヌヴィーヴと子供が乗っていた。ジュヌヴィーヴのまたあいたいという誘いを断り、ギイはマドレーヌと幸せにくらした
 

おおシャンゼリゼ

 投稿者:肖像君  投稿日:2016年 5月14日(土)12時12分49秒
  フランスの
作詞者ピエール・ド・ラノエ作詞して、1969年、リリースされたシャンソン  日本では、ドナドナの作詞で知られている安井かずみ氏の訳詞が使われているそうです。
 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2016年 5月 8日(日)22時11分56秒
編集済
  歌のサロンのページを更新しました。

4月歌のサロン
中村均一さんのサクソホーン演奏 脇谷敦子さんのピアノ演奏など
動画、アルバム、スライドショーでお楽しみください。

ここをクリックしてご覧ください。
 

素晴らしきかな!!ムジカの定演

 投稿者:YURA  投稿日:2016年 5月 2日(月)17時02分8秒
  4月30日、私は初めて客席から聴きましたが、そのまことに見事な演奏に最上の讃辞を捧げます。

  私にはもとより音楽の素養などほとんど持ち合わせておりませず、細かいことなど全く解りませんが、全体的に聴衆に大きな感動を与えたものと思われます。


  昨年までは私もこの一員として歌っていたことに思いを致すとき、一寸誇らし気分さえ覚えました。

  ともかく満員の聴衆を迎え、大盛況理に終演したことお目出度い限りであります。
 

第28回定演

 投稿者:てるてるメール  投稿日:2016年 5月 1日(日)14時01分59秒
  汗と涙とがごちゃ混ぜになりながら感激の内に定演は終わりました。終えた後も涙がとめどもなく出て加齢の厳しさをもつくづく思い知らされた定演でもありました。
先生方本当にありがとうございました。そして団員の諸兄・運営の方々本当にありがとうございました。何人かの友人も大変感激褒めていただきました。大成功!!
 

草原の暮らしよさ〈モンゴル素描〉

 投稿者:YURA  投稿日:2016年 4月18日(月)14時18分45秒
    先日図書館から借りた、作家の司馬遼太郎の随筆集の中に一寸興味を惹かれる標題の一章を見出したので、以下に記します。なお著者は大阪外語の当時の蒙古語科出身で、50年来モンゴルとの関わり合いに終始したとのこと。

  モンゴルの草原も遊牧も素晴らしい。1973年夏、南ゴビの草原で起居したときはフエルトの家が実に快適で、モンゴル人が紀元前からこの暮らしを変えないはずだと思った。

  フエルトは私どもの暮らしの中では、スリッパの底とか紳士帽で見られるが、遊牧の暮らしの中では保温と防湿に使われる。つくりかたは簡単である。羊毛を集めて水をふくませて踏んでいけばいい。繊維が互いに濃密にからみあって、ついには布板状になる。草原には樹木がない。ただ川の岸にいくとヤナギなどが生えている。それを側壁材や天井材に使って鳥かごのような骨組みを作って、フエルトをかぶせるだけで家になる。

  「ゲルほどすばらしい家はありませんよ」と政府の要人が言った。彼は職業柄首都のウランバートルの鉄筋コンクリートのアパートに住んでいるが、ときに草原に戻りたくなるという。休暇をとって草原のゲルで起居していると、心が空の青さに染まって、空ほど大きくなるという。「この気分ばかりは他の民族にはわかりませんね」といった。

  半世紀前私にモンゴル語を教えてくれたウルトンバートル教授は、当時まだ二十代の青年だった。「日本の家は寒い」厳冬の国から来てしきりにこぼしていた。大阪の彼の家は官舎で戦前の建物としてはしっかりした西洋建築だったが、暖房への配慮がなかった。「ゲルならこんなことはない」と彼はこぼしていた。事実ゲルには紀元前からオンドルのような装置があって、床が暖かく零下何十度の冬でも過ごせる。

  それに草原には無数の燃料が落ちている。乾いて糸くずのようになってしまった牛糞がそれで、青い炎を出して燃え火力も強い。アルガリと呼ばれるこの燃料で煮炊きもし、暖房もする。ただし今の首都では石油や石炭を使う。「だから空気が悪くて」と前の人は言った。まったくぜいたくな話で、ウランバートルは世界の首都の中でいちばん空気がいいとされているのである。。

  草原の空気がいかにここちよいかがわかる。

付記:「蒙古」と称されるのは中国人がよく使う蔑称で、蒙とは知恵が足りない、文化が低いという意味だし、古はいうまでもなく、ふるぼけたことだと著者は指摘している。
 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2016年 4月14日(木)14時56分25秒
  ムジカおさらぎのホームページ「演奏会のお知らせ」に
「第28回定期演奏会」のお知らせを載せました。

ここをクリックして、トップページから「演奏会のお知らせ」を
ご覧ください。
 

京都の満開

 投稿者:シブスト  投稿日:2016年 4月 7日(木)23時23分37秒
  京都で満開の桜を楽しんできました。桜と共に人も満開でした。
上の写真は、疎水(琵琶湖の水を京都に流すため開墾された水路)を飾る桜で右奥の鳥居は平安神宮です。
中の写真は、醍醐寺で見た古木です。
下の写真は、インクライン(疎水を通る船を急傾斜部分で運ぶ鉄道)の桜と桜見物の人達。
 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2016年 4月 7日(木)14時00分11秒
  3月 歌のサロンのページを更新しました。

三田浩則さんのマリンバ独奏 「愛の挨拶」 「チャルダッシュ」
脇谷敦子さんのピアの独奏 「エオリアンアンハープ」
ソプラノ独唱・バリトン独唱 等

スライドショー・アルバムでお楽しみください。
次回予告も載せてあります。
ここをクリックしてご覧ください。
 

お誘いに乗って

 投稿者:ぴろりん  投稿日:2016年 3月28日(月)22時39分44秒
  シブストさんお勧めの桜
我が家から歩いて数分の所にある本覚寺の枝垂桜を見に行きました。
昨日のことです。

シブストさんの真似をして
本堂の屋根が背景になる位置から眺めました。
屋根の瓦色と薄い桜色のコントラスト、
ちょっと位置をずらすと、まるで屋根に冠を被せたように見えました。

夕方に行ったので、西日が横にある駐車場の殺風景さを遮ってくれて
時間的にもラッキーでした。

桜を堪能したあと、カメラの構え方が格好良く見える人をマークして
アングルは・・
何をテーマにしているのか・・などなど
さり気なく観察して帰宅しました。
ありがとうございました。

みなさま
シブストさんの写真集が更新され、今が旬の写真がたくさん掲載されています。

シブストさんの写真集へ
  ↑ クリックすると写真集にジャンプします
ぜひご覧になってください。
 

鎌倉 春の始まり

 投稿者:シブスト  投稿日:2016年 3月26日(土)08時32分38秒
  桜の開花宣言があちこちで聞かれます。鎌倉で春の始まりを探しました。
上は学習センター近くの本覚寺の垂れ桜で25日(金)の練習日の朝に撮りました。今がベストです。
中は練習終了後海蔵寺まで行って美しい盛りのユキヤナギを撮りました。
下は八幡宮に入ってすぐ左手の桜です。
 

わが青春の明と暗

 投稿者:YURA  投稿日:2016年 3月23日(水)16時27分35秒
編集済
   私の青春の始まりを、旧高専入学の昭和15年4月〈当時19歳〉とし、その終期を陸軍から復員した21年7月〈25歳〉とすると、ほぼ5年半にわたることになり、それにより話を進めることにしたい。

  私の青春の明の部と暗の部を劇的に分断したのは17年10月1日陸軍に入隊した時点である。

  まず明の部から。私が横浜にあった商業系の旧高専に入学したのは15年4月で、繰り上げ卒業する2年半の期間に、同じ市内にあった工業系の旧高専との間に、毎年6月横浜港の開港を祝して、両校の間で野球の定期戦を行うことが古くからの慣例となっていた。

  その定期戦には学生はもとより、一般市民も両派に分かれて猛烈な応援合戦が繰り広げられる。ブラスバンドの演奏も華を添え、リーダーの統率の下、校歌、応援歌の応酬が行われる。

  試合は3回戦制で、勝った側の応援団は隊伍を組み、応援歌を高唱しつつ市内随一の繁華街を意気揚々と行進し母校に帰還する。校庭には篝火が燃え盛り、その周囲を肩を組み応援歌を歌いながら踊り狂う。

  まさに青春のたぎらんばかりのエネルギーを巧みに発散させる絶妙な企てであったと、今にして懐かしく思い返される。

  こんな明朗闊達な学生生活も、17年10月1日全国一斉に、大学、旧高専を卒業させ、幹部候補生要員として陸海軍に入隊させることにより、それまでの生活は激変、あたかも奈落の底に突き落とされた如き感すら覚える事態となった。

  私は陸軍の歩兵部隊に入隊し、朝から晩まで毎日過酷極まる演習に追いまくられ、帰るや毎夜下士官、古兵から眼もくらむようなビンタなどリンチに恐怖の絶頂に立たされた。

  私は意識して幹部候補生を免かれ、18年6月新編成の部隊の一兵卒として中国に派遣され、中部に駐屯し屡々討伐に出撃するうち19年6月作戦命令により北部に移動、黄河を渡った直後城内の敵から猛攻を受けたが激戦の末撃退したが、多数の犠牲も払わされた。その後は平穏のうちに、黄色く実った麦畑の道を毎日行軍、揚子江岸に達したのは1カ月の後のことであった。

  これ以後目的地に至る1カ月にわたる旅程はまさに「死の行軍」そのものであった。7月の猛暑の炎天下30キロの重装備にあえぎつつ行軍の途中から食料の補給が絶無となり、加えて米軍機の執拗、猛烈な銃爆撃に翻弄され逃げ惑うばかり。文字通り這う(ほう)這うの態で目的地に到着したが、極度の栄養失調により多数の戦病死者がいたのは哀れであった。その後駐屯中私はマラリアという熱病に罹災、連日激しい悪寒、一転猛烈な発熱により、生死の境をさまようこと1カ月にして、神の加護により一命をとりとめた。

  その後駐屯中20年8月15日停戦命令を受け、ほぼ1年の抑留を経て、21年7月無事帰還した。

  以上運命の神にもてあそばされながら、私の青春は上述のように、明部と暗部にさらに極言すれば極楽と地獄の世に二分されたものであったと言い換えてもよいと思われる。

余談:歳とともに妙なクセがでてきて困っております。数年前までなかったと思いますが、気が付くと矢鱈に独語〈ひとりごと〉を発するおのれを発見して全くいやになっております。

   最も多いのが   「バカ」という己を叱咤する一言
   次が       「ナニシテルンダ」と上と同じ
   下品ながら    「クソー」と己れの失敗をとがめる一言
   などなど

  それと日常の動作の、多分に生来の不器用さも手伝って、大変ノロくさくなっているのに、われながらいらいらしております。

 

ぴろりんさんへ

 投稿者:みぃちゃん  投稿日:2016年 3月15日(火)15時56分18秒
  ぴろりんさん
有り難うございます。10日、両国駅を出て慰霊堂に行って参りました。あらためて妹たちの辛さや痛みが分かる思いです。
母はあまり話をしてくれませんでした。どうしてもっと話してくれなかったのかと思っていた時期もありましたが、年月が経てばたつほど、話せなかった母の切なさや辛さがひしひしと伝わってきて、母の気持ちを考えると辛くなります。
お会いした時に、ちゃんとお礼が言えなくてごめんなさい。ぴろりんさんがどんどんお元気になっているので安心です。私もあなたと出会えてうれしいです。これからもどうぞよろしくお願いします。
 

写真展のご案内

 投稿者:シブスト  投稿日:2016年 3月13日(日)10時29分50秒
編集済
  鎌倉学習センターで下記の写真展が開催されます。3月25日(金)の練習の後にでもご覧頂ければ幸いです。
主催:湘南写友クラブ/ニッコールクラブ湘南支部
会期:3月22日(火)~27日(日) 午前10時~午後5時(初日は12時から、最終日は午後3時まで)
会場:鎌倉生涯学習センター 地下ギャラリーA,B室
   なお隣のC,D室でも別の写真展が開催されています。
 

みぃちゃんへ

 投稿者:ぴろりん  投稿日:2016年 3月 9日(水)22時56分52秒
  3月9日 あなたにとっての東京大空襲
またその辛い思い出の日が巡ってきましたね。

美味しいものを食べれば・・食べさせてあげたい
楽しい事に出会えば・・一緒にしたかった
叶わない願い事を刻み続ける日々。

いつの日か
あちらに持って行くだろう楽しい思い出のお土産。

たくさんあればあるほど軽くなる
これからもたくさん楽しんで
ズッシリ
お土産作りに励んでください。


今日も雨。
あの日
ムジカの練習を途中で抜け出して慰霊祭に急ぐあなたのうしろ姿を
思い出しています
あの日も雨降りでしたね。

あなたに出会えてしあわせです
あなたと一緒に思い出作り・・したいです。
たくさん
 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2016年 3月 9日(水)08時33分18秒
編集済
  2月歌のサロンを更新しました。
ここをクリックしてご覧ください。

ゲストの皆さんの素晴らしい演奏を動画で
歌のサロンの様子はアルバム、スライドシーで
お楽しみください。
 

国土

 投稿者:YURA  投稿日:2016年 2月22日(月)21時09分58秒
編集済
   先日読んだ作家の司馬遼太郎の随筆集「風塵抄」の中の掲題の一章に少なからぬ興味を覚えたので、以下に記してみます。

  オランダへは三度目の旅だった。
  いつ行っても、古いころ新教でつちかわれた清潔さにうたれる。
  国土は日本の九州ぐらいしかないのに、また人口密度が世界一なのに、全土が森と芝生におおわれた公園のようなのである。
  ともかく人間の欲望によって荒らされた場所はかけらもない。
  かの国は世界企業をいくつくかもつ大工業国でもある。そのくせ工場が造成された森林に隠されていたりして、車窓から見ても、気分がささくれたことがない。
  とても日本はおよばない。
  。

  むろんオランダは代表的な資本主義国である。むしろアメリカよりも強く市場原理が働いている。商品は市場で商品として競争させよ、権力は介入するな。。
  たとえば、長く欧州における最有力の家電メーカーでありつづけた、フィリップス社が、日本の同種企業の攻勢によってややかげりをみせているのだが、かといって政府は日本の同種企業の進出をさまたげたりしようよしないそうである。
  私がいいたいのはそんなことよりも、それほど市場原理が尊重されていながら、土地投機だけは皆無ということなのである。

〈著者は文中に日本のバブル期の土地投機についての狂乱状態を痛烈に批判しているが、長くなるので要約しました〉

  「神は世界を造り給うたが、オランダだけはオランダ人が造った」とよく言われる。国土の大半は千数百年来、海を堤防でさえぎり、干拓することによってつくられつづけてきた。
  工業だけでなく、農産物や酪農製品を輸出し、国土をおおう芝生で牛や羊が草を食べている。このため常に芝生がそろっていて、つねに刈られたばかりのように美しい。
「あの広大な芝生を買おうじゃないか」
という料簡はおこさないほうがいい。オランダでは土地のほとんどは国有なのである。

追記:私は時々HPをのぞききますが、ジプストさんの四季折々の花などの風景の見事な写真の数々に、いつもながらも感嘆一入であります。








 

ムジコマーニ頌

 投稿者:ヴォルフ  投稿日:2016年 2月22日(月)20時51分39秒
  昨日の「ムジコマーニ」は素晴らしかった!
冒頭の、パレストリーナでは、男声の唄い出しで、”はっ!”とした。
あたかも、低くて奥行きの広い空気の塊が、ステージから客席向かって、”ふわっ”と浮き上がったの如き錯覚を覚えた。

佐藤先生・ムジコマーニの皆様、有難うございました!
 

ムジコマーニの演奏を讃えて

 投稿者:ヘ音記号  投稿日:2016年 2月22日(月)14時16分33秒
  ルネッサンス期のアカペラ教会音楽とヴィヴァルディのグロリアミサという組み合わせで、ムジコマーニ・ストナートが模範的な演奏を聴かせてくれました。ムジコマーニの持ち味ともいえる声の揃った四声の響きには、常に心洗われるところですが、今回は、バスパートに新しい顔ぶれも見られ、より一層充実した支えになっていました。そのせいか、全体に男声陣の活躍が感じられたのは嬉しいことです。なんとなく、女声の勢いに負けているなと思っていた今までとはちょっと違うなと思いました。(失礼 !) ただし、ファゴットソロの入った八声のサルヴェレジーナを除いて・・・。ここでは、ソプラノの方たちも頑張っていました。

後半のグロリアミサは、過去に"なぎさ道"と共演して歌ったことがありますが、初めて聴く立場になってみると、ヴィヴァルディの良さをつくづく感じることができました。ほんとうにイタリアバロック音楽の真髄に触れた思いがしました。それに、12人の器楽奏者たちの気持ちのいいアンサンブルもみごとでした。みなさん、お疲れさまでした。
 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2016年 2月 5日(金)21時43分35秒
編集済
  歌のサロンのページを更新しました。

1月の歌サロは、新年らしく全員和服で金屏風の前での演奏でした。
動画、アルバム、スラドショーでお楽しみください。

ここをクリックしてご覧ください。

 

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