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更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2016年12月 2日(金)21時18分41秒
  歌のサロンのページを更新しました。
ココをクリックしてご覧ください。

小笠原伸子さんのヴァイオリン独奏・・・
北原葉子さんのピアノ独奏・・・
佐藤 望さんのバリトン独唱・・・

動画、アルバム、スライドショーでお楽しみください。




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鎌倉の紅葉

 投稿者:シブスト  投稿日:2016年11月30日(水)21時59分4秒
  鎌倉でも紅葉が美しくなりました。例年に比べると少しさえない感じがありますが、美しい紅葉もあります。写真は26日(土)に円覚寺で撮影したものです。ベストはもう少し後だと思います。  

オペラ「ナクソス島のアリアドネ」を観て

 投稿者:ヘ音記号  投稿日:2016年11月27日(日)16時46分8秒
編集済
  昨日26日、二期会公演「ナクソス島のアリアドネ」を日生劇場で鑑賞。この日と23日、望さんが脇役で出演。主役にはアリアドネ役の林正子(ソプラノ)、コロラトゥーラソプラノのツェルビネッタ役で活躍する高橋維、バッカス役の片寄純也(テノール)を当てていた。

そして舞台は・・・。プロローグでウィーン貴族の館と、後半ナクソス島(孤島)にある洞窟の二幕である。それを、今回はライプチッヒ歌劇場との提携で現代風に変更。すなわち、どこか都会のホテル風建物内と、その階上大広間といった設定である。プロローグの舞台となった一室の背景には大きな駐車場が設けられ、オートバイや車が駐車している。舞台下手にはドアで仕切られた男女化粧室もある。また、後半の幕では、大広間に置かれたテーブルに、アリアドネや、他の出演者たちが座っている。上手側には長いカウンターが設けられ、望さんも終始、給仕役を務める。

衣装や小道具も、恐らくライプチッヒ歌劇場で使われた物に合わせたようで、たいへんに凝ったものであった。特に、後半の幕ではツェルビネッタやコメディアン4名の早変わり衣装など、みごとな演出であった。また、アリアドネに付き添うニンフ3名は蝶のような白い羽を付け、翅の周りの赤いランプなど注目の的になっていた。

望さんの歌う場面はプロローグの初めにあり、少なかったが、貴族の召使役として各出演者の世話をこまごまと演じていたし、執事役で歌った多田羅廸夫の久しぶりに聞く声も嬉しかった。もちろん、ツェルビネッタがコロラトゥーラで歌うアリアは拍手と歓声に包まれるほどであったし、コケティッシュな演技や、4人のコメディアンとの歌い交わしも楽しめた。アリアドネの悲しみのアリアや、バッカスとの二重唱も聴かせる一こまであった。劇中、後半のオペラ部分を作曲した作曲家役の白土里香(メゾソプラノ)も、プロローグ場面では、ツェルビネッタと言い争ったり、同意したりと、激しいやり取りを着実に歌い演じていた。

当日、オケピットで演奏の東京交響楽団は、R・シュトラウスの意図した曲想を柔軟にこなし、小編成ながらも、シモーネ・ヤングの指揮のもと、充実した音楽を聞かせてくれた。というわけで、白い歌青い歌には出られず、残念な気もしたが、久しぶりの楽しいオペラ鑑賞となった。
 

京都の紅葉

 投稿者:シブスト  投稿日:2016年11月25日(金)16時50分3秒
  11月23日、24日に京都市内をあちこちと回ってきました。関東地方は大変寒く雪が降りましたが、関西は晴天で少し寒い程度でした。今年の京都の紅葉は早く進み、紅葉の色も例年ほどよくない状態です。多分暑い日が続き、秋の気候が短かったせいではないかと思います。それでもいくつかの場所で美しい紅葉があり、写真を撮ってきました。
上は南禅寺、中は嵯峨野の宝厳院、下は同じ嵯峨野の常寂光寺で撮りました。
鎌倉の紅葉はこれからですが、色がさえないのではないかと心配しています。
 

「一つ 軍人は要領つかいを本分とすべし」

 投稿者:YURA  投稿日:2016年11月25日(金)11時01分4秒
編集済
  日本の軍隊には明治の昔から軍人勅諭といって天皇陛下から軍人に賜った諭旨というものがあった。それは五か条から成り、その第一条に「一 軍人は忠節を尽くすをもって本分とすべし」と明記され、標題はそれをもじったものである。

  既述のように、昭和17年10月1日全国一斉に大学、高専の卒業学徒を幹部候補生要員として陸海軍に入隊させ、その適格者を速成教育を経て将校、下士官に任用せんとするものであった。

  当時陸軍にあっては南方各地に於いて玉砕が報じられ、また海軍もその命運をかけて臨んだ作戦に惨敗を喫し、まさに敗戦の気配濃厚の時期であった。

  私の入隊した陸軍の部隊では、伝統的猛烈極まる演習に明け暮れていた。幹部候補生要員として成績上位を目指す隊員間の競争は激烈で、その成績を主として査定する班長〈軍曹〉に対する俗にいう「おべっか使い」争いにやれ洗濯とか、兵器の手入れ、食事の上げ下げなど大いに競い合っていた。

  私に言わせるとそれらは小さな要領で、事実将校になった連中は南方などの激戦の第一線に引っ張り出さられるのは必定で、戦死の確率は非常に高かったと断ぜられる。彼らはその時に至り、初めて初年兵時代の己れの行為を大いに悔やんでいたと想像される。

  幹部不適格の烙印を押された私が編入された部隊は、既に日支事変などに参戦し、再度召集された予備役の兵隊〈年齢30歳代〉が大半の第二線部隊で、第一線部隊が占領した地域の警備を主たる任務としていた。

  私はその部隊でも要領専一と振る舞い、中隊の頭脳ともいうべき指揮班に配属され、情報係の任務を与えられ大いに厚遇された。


 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2016年11月17日(木)20時56分11秒
  ムジカおさらきのホームページ「演奏会のお知らせ」に
「第17回白いうた青いうたフェスティバル」のお知らせを
載せました。

ここをクリックしてトップページを開いて、
「演奏会のお知らせ」をご覧ください。
 

サードオピニオン

 投稿者:YURA  投稿日:2016年11月10日(木)13時41分42秒
   著者はある銀行で要職を務め、定年後趣味が高じて随筆集を出すようになり、その一つが「鎌倉つれづれ」という本で、掲題はその一章である。

  危うくメスで体を切られ、体内に金属片を埋め込まれるところだったが、間一髪で免れた。発端は四月に受けた人間ドックである。心電図に異常が認められると指摘された。早速日ごろ高血圧の診察を受けている近所の中規模の病院で検査を受けたところ、心房細動と診断された。下手をすると脳血栓、脳梗塞を引き起こしかねない命に関わる病気だそうである。

  妻や友人たちにこの際セカンドオピニオンをとってみるように強く勧められ、知人の紹介で総合病院で日本でも指折りの先生の診断を受けることができた。いくつかの検査のデータを見つめ、パソコンのディスプレーを見つめていた先生はやおら「ペースメーカーを入れなければなりません。即刻入院の手続きをとりましょう」とご託宣をした。大先生の診断であり、命に関わることなどで、私は一も二もなく「是非お願いします」と先生の診断に感謝し、その場で二週間後の入院手続きをした。
  ところが妻から、「あなたは普段とても健康だし、今度も何ら病気の自覚症状はないでしょう。何かおかしわよ」「もう一度他の病院の診断を受けてみたら」という。「なーるほど。もっともだ」ということで「サードオピニオン」を受けることにした。

  今度も幸いのことに知人の紹介で、有名な心臓専門病院の院長の診断を受けることができた。先生はいろいろ質問をした後で、「血圧の薬の副作用で生じたもので、不整脈とは言えないかもしれない。血圧の薬を変えて様子を見てみましょう。ともかく今のところペースメーカーは不要です」との診断であった。最終結論は一ヵ月先になるが、こうしてセカンドオピニオンではなく、サードオピニオンの結果、当面私の身体に常時金属片が埋め込まれることからは免れることになった。

  こうしてこの半年の間に治療方法が二転、三転したが、これから生きていく上でも、今回の経験は決して無駄ではなかったと感じている。

筆者追記:セカンドオピニオンという言葉は世間一般によく聞かれるが、それにも疑念を抱きサードオピニオンまで選択した著者の信念に感服しました。
 

黄葉の上高地

 投稿者:シブスト  投稿日:2016年11月 9日(水)23時44分47秒
  秋を求めて上高地に行ってきました。ちょうどカラマツとケショウヤナギの黄葉が真っ盛りでした。
今年は暑い時期が長く、秋が非常に短かったため、あちこちの紅葉がよくないようですが、ここの黄葉は、太陽に照らされて金色に輝いていました。
上の写真は、黄葉と焼岳です。中の写真は、カラマツの黄葉を前景にした西穂高です。下の写真は、田代池の草原に霜が降りている早朝の風景です。
 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2016年11月 9日(水)23時20分54秒
  ムジカおさらぎのホームページ「演奏会のお知らせ」に
「第58回鎌倉市民合唱祭」の報告をのせました。

ここをクリックして、トップページをひらいて
「演奏会のお知らせ」をご覧ください。
 

ミラノ・さらば栄光の日々

 投稿者:YURA  投稿日:2016年10月26日(水)16時39分50秒
    先日私が読んだ「本能三昧イタリア紀行」という本の中に標題の一章があり、興味を覚えたので以下に記します。著者はイタリア語会議通訳、翻訳業者の田丸公英子さんで、無慮数10回のイタリア滞在をし、その紀行文を多数出しているという。

  イタリア随一の豊かさを誇る街ミラノ。そこでリッチなミラネーゼを観察したければ、フォーシーズンホテルのダイニングやスカラ座に行くといい。彼らが発する上品で優雅なオーラには思わずため息が出るだろう。

  私がイタリアに最も足しげく通った70年代から80年代は、ちょうどイタリアの激動期にあたっている。右派左派入り乱れての無差別テロ、誘拐、労働争議が頻発するイタリアは、「ヨーロッパのお荷物」と白眼視されていた。しかしどんなに社会状況が悪化しても、ミラノの金持ちたちが享楽的な生活をやめることなかった。

  彼らの実態を目のあたりにしたのは、ミラノの友人夫妻に連れて行ってもらった高級レストランだ。入口の頑丈な鉄扉を見たときは、ここがレストランだとは到底思えなかった。友人が隅にある呼び鈴を鳴らすと、扉上部の小さな窓が開き人の目が覗いた。ガラス越しに客の顔をチェックした後、アンサーフォンから、「予約ワードをどうぞ」と声がする。友人は電話予約時に伝えられた暗号ワードを答える。「テヴェレ」。.やっとのことで重い扉が開き、私たちは店内に招き入れられた。

  そこにはテロやデモで騒がしい外界とはまったく違う別世界が広がっていた。ワイン色のビロードの壁紙とペルシャ絨毯のインテリア。テーブルに置かれた銀のキャンドルスタンド、ほの暗い明りの下、着飾った人々がシャンペンや高級ワインで優雅な食卓を囲んでいる。実は数週間前、このレストランを突然武装した集団が襲い、食事中の客全員の手を上げさせた上、財布から時計、女性たちの指輪やネックレス、ハンドバッグに至るまで、金目のものを瞬時に奪い取って逃げる強盗事件があったのだ。それが契機で、店側は急遽現在のシステムを取り入れ、客を厳しくチェックして入れるようになったという。私を招待してくれた夫妻は、食卓で自虐的につぶやいていた。
「多分イタリア人ってタイタニック号で舞踏会に興じていた乗客と同じなのよ。乗っている船が沈みかけていることに気づいてないよね」。

  確かにそんな事件があったというのに、この店は満員の盛況だ。金さえ使えば防御も可能。金満家の客たちは鉄扉に守られ今までどうりの優雅な生活を続けていた。


 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2016年10月26日(水)09時25分59秒
    歌のサロンのページを更新しました。
10月歌のサロンはクラリネット:山崎泰子さん、ピアノ:高須亜希子さんを
お迎えしました。
次回は11月2日 小笠原伸子さんの「メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリ協奏曲 」
の演奏もあります。

ここをクリックしてお楽しみください。
 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2016年10月24日(月)00時45分29秒
  ムジカおさらぎのホームページ「演奏会のお知らせ」に
「第58回鎌倉市民合唱祭」のお知らせを載せました。
ここをクリックしてトップページ開いて、
「演奏会のお知らせ」をご覧ください。
 

ラクリモーザ豆知識

 投稿者:肖像君  投稿日:2016年10月21日(金)14時00分14秒
  今、練習しているラクリモーザは、モツアルトは、最初の8小節まで作曲し、そこで亡くなっているのです。9小節以降は、弟子のジュスマイヤーが補筆しているのです。モツアルトがレクイエムの作曲を依頼されたのは、1791年7月と言われています。亡くなる五ヶ月ほど前のことです。その頃、歌劇魔笛ほか、数曲の作曲依頼もあり、なかなか、多忙で、レクイエムの作曲は、なかなかはかどらなかった。また、体調も悪くなり、11月20日、ついに病床に伏してしまった。そして、12月4日、いよいよ最後の日の朝、弟子のフランツ・クサヴァー・ジュスマイヤーを、枕元に呼んで、このレクイエムの完成をさせるよう、細かい指示を与えたという。12月5日午前0時55分に息をひきとった。ですから9小節以降は弟子の作品なのである。しかし音楽的価値はモツアルトの細かい指示があり、下がってはいないと言われているそうです。  

固有名詞の発音

 投稿者:YURA  投稿日:2016年10月13日(木)14時13分58秒
    先日読んだある随筆集のなかに、もっともだとうなずかせる掲題の一章があったので、以下に記してみます。なお著者は中国籍かと思われる張美玉(ちょうびぎょく)という亜細亜大学助教授とのこと。

  外国人が日本語を学ぶ際に、例外なく「固有名詞の発音」という難関にぶつかる。
  いやいや、外国人に限らず日本人同士の場合にだって、振り仮名を書いてもらわないと、相手の名前を正しく発音できないことが結構ある。要するに日本において固有名詞の発音はそれほど「個性的」なのである。

  服部〈はっとり〉、長谷川(はせがわ)など、訓読みでも音読みでも通用しない苗字を覚えるのは、留学生時代の私にとって骨が折れることだったし、同字異音の苗字にも滅法弱かった。「こうの」と「かわの」の両河野さん、「かみむら」と「うえむら」の両上村先生を迷わなく呼びかけるのに、随分時間がかかったとの気がする。そのうえ早とちりの習性をもつ筆者にとって「珍」苗字も一つの悩みの種だった。来日して間もない頃、初対面の御手洗先生を「おてあらい先生」と呼んでしまった苦い経験がある。そんな恥ずかしい一瞬がいまだ鮮やかに思い出される。

  一方地名の発音の難しさは人名のそれに勝るとも劣らない。
  もう十数年前になるが、東京の地下鉄の小さなある駅の切符自動販売機が故障し、直接駅員から切符を買う羽目になった。私は「しんやちょう」といっても「かみたにまち」とあらためて発音しても、一向に切符を売ってもらえなかった。暫く思案した末に、駅員がようやく悟って「神谷町(かみやちょう)」ですね」と。

  さらに話を外国の固有名詞に進ませると、事情は一層複雑になる。
  漢字を用いていない国の固有名詞につぃては、その国の発音どうりの片仮名が使われている。しかし同じく漢字を用いる国に対しては、固有名詞の発音に一貫した処理がまだ施されていないというのが現状なのである。中国系の地名・人名の発音にはかなりの混乱が存在しているのだ。
  北京(ぺきん)、上海(しゃんはい)、台北(たいぺい)など母国語読みがあるかと思えば、広州(こうしゅう)、四川(しせん)などの音読みもある。

  勤務先の大学には「張」という苗字を持つ留学生が大勢いる。そして、音読みの「ちょう」の他に、「チャン」(中国語)、「ザン」(韓国語)、「チョン」(広東語)などと名乗る学生も少なくない。

  時々面白い宛名の郵便物が来る。先日「ハリヨシタマサマ」というユニークな宛名の小包を受け取った。なるほど「張美玉」(はりよしたま)という読み方も中々乙なものだ。

余談:私らの囲碁の仲間に許斐という人がいますが、読めたらよほどの物知りと思います。コノミと読むのですが、私は一発で読めました。というのは、前回の東京オリンピックの時、ピストルの選手として出場していて、なんでも当時「東京温泉」の社長だったと新聞の記事で読んだ憶えがあったからです。
 

ミモザの会定演を讃えて

 投稿者:ヘ音記号  投稿日:2016年10月10日(月)14時38分51秒
  グリーグからジブリまで、多彩なプログラムをこなした演奏会でした。みなさん、がんばりましたね。女声コーラスの明るさとしっとり感を堪能しました。ススキの穂が秋風になびくようでした。聴きながらうとうとするかと思ったら皆さんの声に引き込まれ、最後まで聴き通しました。

原語で歌いこなしたグリーグの4曲に先ずは感心。意味も分からずに聴いたのですが、なかなか雰囲気がありました。まど・みちお、新実徳英の曲は、何かわけのあるような、また、ないような不思議な感じの曲でした。なかでも、3拍子で歌われた4曲目と、続く5曲目は面白く聞きました。

休憩後の後半は3人のソプラノソロと室内オーケストラ入りで、ハイドンの珍しいミサ曲からでした。ハイドンといっても、弟ヨハン・ミヒャエルの方ですが、ホルン入りのこの曲はCDも出ていないそうです。従ってオケの方たちも弾いたことがなかったとか。そのわりには歌いやすそうで、コーラスはよくハモっていました。それに3人のソロも聴きごたえがありました。

スタジオジブリの5曲は、大人向けとして選ばれたそうですが、私の知っていたのは「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」のみでした。バックに映像も映され、特別出演のリコーダーとホルンの音がとても味のある演奏でした。ここでも、みなさんの楽しみながら歌う様子が感じられました。お疲れさまでした。次回の演奏が楽しみです。
 

鎌倉市歌制定のいきさつ

 投稿者:肖像君  投稿日:2016年10月 5日(水)12時55分5秒
  10月3日、市民合唱祭では、むじかは鎌倉市歌を歌う事になっています。私の手元には、、昭和51年10月1日発行の「かまくら文化だより」という印刷物があります。その中に「鎌倉市歌制定のいきさつ」という記事がありますので、ご参考までに、ご紹介させていただきます。昭和33年9月磯部市長は、現職のまま死去され、代わって山本氏が市長に就任された。たまたま、翌34年11月3日は、市制施行20周年に相当していたので、就任早々の山本市長の構想のもと、記念行事実行委員会が発足した。この行事の一つとして「市歌」と「市民の歌」を作ることになった。まず、作詞者の選定については、市歌は特定の著名人に、市民の歌は一般公募とし、作曲は、鎌倉音楽クラブに人選をお願いすることとなった。
市歌の作詞者の第一候補者は、堀口大学氏、第二候補者は大木淳夫氏であった。堀口氏の承諾は得られなかったが、大木氏は即座に快諾され、一週間後に、秀作と思われる作品を受け取る事となった。作曲は音楽クラブの会員であった矢代秋雄氏が 市歌を、市民の歌を八州秀章氏が担当することとなった。作曲ができあがって試聴会が開かれた。音楽クラブ員、約20名程度、山本市長も出席され、大変満足の意を表された。
 

歌のサロンを更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2016年10月 3日(月)20時11分13秒
編集済
  9月歌のサロンを更新しました。

出演された皆さまです。
ココをクリックしてご覧ください。




 

女王陛下にキスされた話

 投稿者:YURA  投稿日:2016年 9月26日(月)13時20分25秒
   以前にもご紹介したが、学徒出陣で海軍に入隊、戦後作家に転じた阿川弘之の随筆集の中に掲題の一章があり、一寸した興味を覚えたのでその要点のみ以下に記します。

  海上自衛隊の今年度〈平成15年頃?筆者注〉の練習艦隊が5カ月間にわたる世界一周の遠洋航海を終えて、9月8日日本へ帰って来た。旗艦が「かしま」、随伴艦が「ゆうぎり」であった。「かしま」は今年ニューヨークで女王陛下にキスされるという歴史的小事件を起こしており以下その詳細を述べてみたい。

  7月5日早朝、マンハッタン西岸ハドソン川沿いのピア〈岸壁〉に係留中の「かしま」の横へ、英国の7万トンの豪華客船「QE2」(クインエリザベス2世号)が入港してきた。その朝ハドソン川は2ノット半の急流があって、流れに押された巨大な客船はあれよあれよという間もなく、右舷側部を「かしま」の艦首部分へこすりつけた。ぐぐっと強い衝撃が艦内を走り、鉄パイプが折れ塗装も剥げ落ちる被害があったが、双方怪我人は出さずに済んだ。

  隣のピアへ接岸後、「QE2」の機関長と一等航海士が船長のメッセージを持って「かしま」へ謝りに来た。応対に出たのは練習艦隊司令官吉川栄治海将補と「かしま」艦長上田恵一等海佐の二人。

  「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。エリザベス女王陛下にキスされて光栄です」。

  相手の詫び言に対し、上田艦長がそう答えた。これが大評判になった。日本では「ヨミウリ・ウイウリー」が大々的に取り上げたし、ロンドンでも「タイムズ」などが、小さいながら記事にした。現地のニューヨークにおいては無論のこと、日本のネイバル・オフィサーのユーモアのセンスを評価する声が高かったという。普通ならニュースにもならぬ小事故で、「かしま」は大使5人分ぐらいの国威発揚をしたとの讃辞もあったそうだが、「サイレント・ネイビー」(沈黙の海軍)の伝統と良き時代の帝国海軍の、「ユーモアを解せざる者は海軍士官の資格なし」の心構えとは、海上自衛隊の戦後生まれのオフィサーたちにも、きちんと受け継がれているもののようである。

  」
 

品の良い演奏を・・

 投稿者:ぴろりん  投稿日:2016年 9月24日(土)23時50分58秒
  ムジカの練習でこの頃よく使われる言葉【上品な演奏】
この言葉が使われる発端になったのは
第52回鎌倉合唱連盟の定期演奏会での総評。

鎌倉合唱連盟では毎回の定期演奏会の折、
講師の先生から各合唱団への講評とは別に
演奏会の最後に総評をお聞き出来るようになっています。

今年の講師の先生は桑原妙子先生と中村義春先生でした。
うろ覚えなのですが・・&遅ればせながら・・
当日、会場でのお手伝いで聞けなかった方や用事があっていらっしゃれなかった方にも
お二人の先生からの総評をお伝えしたいと思います。

桑原妙子先生
  鎌倉には素晴らしい指揮者の方がたくさんいらっしゃる。
  他の合唱団の演奏を聞くことは有意義です。
  一緒に歌える幸せを満喫しました。

中村義春先生
  楽しければ何でも良いという風潮の中、
  それぞれの目標に向かって楽しんでいる。
  それでいて
  鎌倉の人たちが持っている教養の深さに恵まれ、
  どの合唱団も品が良い演奏だった。

昨日のムジカの練習の時、ゆり先生からもチラッと総評のご紹介がありましたし
望先生も上品な演奏に触れていらっしゃいましたので・・そうだ!と思いつきました。

参考までに
9月23日のムジカの練習風景 ← こちらをクリックすると練習のページにリンクします。

次のムジカが出演する演奏会は【白いうた青いうた】ですね。
上品な演奏を目標に上手に頑張りましょう♪ 
 

敗戦の頃を追憶して

 投稿者:YURA  投稿日:2016年 9月13日(火)21時11分8秒
   既述のように、当時わが部隊は中国の中南部にある州都の長沙の奥にある山地で陣地構築中、昭和20年8月18日〈奥地で伝達が遅れて〉の夕刻突然中隊長から集合を命ぜられ、敗戦を告げられた。

  その宵常連の悪党(?)5-6人が集まり酒宴が催され例の強い地酒を浴びるほど飲んだ揚句、翌朝私の枕元は落花散乱。中隊長からこっぴどく叱責されたのは勿論のこと。

  それから半月ほど経過して降伏式が行はれたが、その場に没収されたわが軍の各種兵器がうず高く積み上げられていた。

  それ以前に部隊本部から命令があり歩兵銃に刻印されている「菊の紋章」(天皇から下賜されたという記し)を削り取れという。戦いに敗れてなお天皇の尊厳にこだわる、なんというバカげたことと嘆くことしきり。ちなみに初年兵時代小銃の手入れが悪く少しでも汚れていると、古兵から「恐れ多くも天皇陛下から賜った銃を汚すとは何事か」と大きなビンタを食らうこと必然。

  その降伏式には敵方の司令官が騎乗して、整列している大隊全員の前を閲兵して廻っていた。なんとその馬はつい先日までわが大隊長が乗っていたものである。一方わが方の大隊長以下全将校は無腰(軍刀を腰に下げていない)の哀れな格好に今更ながら悲哀の感慨を覚えた。

  その後度々中国側から私物検査が行われ、時計とか万年筆など目ぼしいものは残らず没収された。

  また天幕宿営中、刀や鍬など凶器を持った多数の暴漢に襲われ、毛布など盗まれるのを目にしながらも、何ら抵抗する手段もない我々は拱手傍観するほかなかった。

  考えてみると、我々日本軍も戦時中それ以上の悪辣非道の振る舞いに及び、その報いとも思われ隠忍自重するほかなかった。

  かくて中国側からの命令で,道路工事など重労働を課せられる一方、生命維持にかつがつ間に合わせる食糧を支給されることほぼ一年にして、ようやく帰還のための無蓋貨車の旅が始まった。やれやれ。


 

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