投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


私たちは幸せですね

 投稿者:ぴろりん  投稿日:2017年 7月20日(木)23時12分21秒
  ほととぎすさん こんにちは♪

ガビチョウ
ほんとに甲高くてけたたましい鳴き声ですよね。

声はすれども姿は見えず
今までも鳴き声は聞いていましたが、名前を知ったのも姿を見たのも今年になってからです。
辺りの雰囲気に馴染まないさえずり。

さえずる声を持って生まれてきたのに
声の扱い方を教えてくれる先生はいなかったようですね。

メーメー ホーホー ストロー ニッコリ
声の向きに上昇気流

周りからの音も聞きましょうね
大きすぎず小さすぎず・・音のバランスも大切よ。

年代にあった、声の出し方を
無理なく響かせる方法を
何度も丁寧に教えていただける私たちはしあわせですね。

教えていただいたからには実践あるのみ。
大きな目標に向かって上手に頑張りたいものです。

念ずれば叶う
諦めなければ出来るようになる・・いつの日か・・そう信じたいです。

我が家にやって来たガビチョウ
     

気持ち良さそうに鳴いていました。(今年の5月中旬に撮影)
上手な鳴き方を教えてくれる先生に出会えますように・・

ガビチョウ がびちょう 画眉鳥
書く文字によっても雰囲気が変わりますね。
 

外来種

 投稿者:ほととぎす  投稿日:2017年 7月19日(水)21時50分14秒
  南米原産の毒アリ”ヒアリ”が、遂に、横浜港にも上陸と言う恐ろしい話がTVや新聞で報道されています。
動植物の外来種は、昔から、様々な分野・経路で上陸し、我が国本来の動植物の生態系を破壊して増殖されているようです。
この鎌倉でも、古くから、セイヨウタンポポ、タイワンリス、アライグマなどの侵食が報じられていますが、最近は、野鳥の分野で「ガビ鳥(ガビチョウ)」の侵食が深刻です。
「ガビ鳥」は、東南アジアが原産で、現地では、その声の美しさから愛玩用として飼われ、それに目を付けた日本のペット業者が輸入したようですが、鳴き声の美しさと言うのは、その国の国民性にもよるのでしょうか、我が国ではこの鳥の鳴き声の評価はあまり高くありません。。
音色・音程はフルート程度のものですが、声が大き過ぎて、煩いのです。
私達が、何時も、お稽古の時にユリ先生から「口から声を出さないで下さい!」と言われていますが、きっと、この鳥の声は口から飛び出しているのでしょう、、、その為に業者が放してしまったのでしょうか?
我が家の周りは、この季節、毎朝、雀や鶯の囀りで目を覚ましていましたが、最近は、この「ガビ鳥」が5~6羽の編隊で占領して、大きな声で叫んでいます。煩くて堪りません
皆様のお住いの周りでは如何ですか?。
 

青い眼の長門艦長

 投稿者:YURA  投稿日:2017年 7月14日(金)14時20分40秒
   有名な作家の阿川弘之の随筆集の中の一つに標題の一章があり、興味を抱いたので、以下に記します。ただし原文は大変長いので、その概要のみご紹介します。著者は学徒出陣の海軍士官になったとのこと。

  昭和の初期陸奥と並んで長門は当時日本の海洋戦力を象徴する世界最強最速の戦艦で、長く連合艦隊の旗艦を務めていた。

  その最強の歴代33人の長門艦長のうち、最後の一人がアメリカ人であったことを知っている人は少ない。何故そんなことになったのかというと、陸奥も大和も武蔵もみんな沈んでしまったのに、長門は数回の海戦に参加しながら、日本の主力艦中たった一隻不思議に命永らえて終戦を迎えて生き残ったばかりに、敗戦翌年ビキニに連れていかれ、洋上原爆実験の標的艦として沈められたからである。

  その後の調査で、その艦長を務めたウオルター・ウイップルという海軍大佐が、カリフォルニアの片田舎に健在であり、しかもその娘のマーガレットが日本の大阪の商事会社に勤めていて、近く老夫妻が娘を訪ねて日本を訪問する予定であるという。

  折角の機会だから独りだけで会うのは惜しいと、現存の長門艦長在職者の一人に横山隆一(漫画家)さんの岳父渋谷清見少将がいる。鎌倉に電話をかけ都合を聞いたところ,脚が弱って無理とのことで断念。

  かくて大阪の娘マーガレットと何度か打ち合わせの上、ウイップル夫妻の来日、上京を待って予備学生出身の元大尉(著者自身のこと;筆者注)が単独で33代の長門艦長アメリカ海軍の少将を表敬訪問する仕儀となった。日本語上手なマーガレットと彼女の会社の英語の上手な青年が同席してくれたので助かった。

  赤坂の山王ホテルで昼食をともにしながら、ビキニ原爆実験の模様など話し合ったが、それよりこの人の風貌、家族構成に興味を覚えた。うオルター・ウイップル少将はは禿頭の周りに真っ白い髪を少し残して、地味で質素な背広を着た小柄な76歳、カリフォルニアの朴訥な農夫といった感じだが、祖父、曾祖父に幾人か提督がおり、夫人の実家も同様海軍一家らしかった。

  「自分は少尉の時『ペンシルバニア』(米太平洋艦隊旗艦)、大佐の時『長門』、好敵手だった日米両艦隊の旗艦乗り組みを経験しているのは自分だけだ」と幾分得意げなウイップルさんであった。

  以上まことに奇異なる縁で結ばれた話に大いなる興趣を覚えました。
 

シェルブールの雨傘参考資料

 投稿者:肖像君  投稿日:2017年 7月 9日(日)15時37分50秒
  ご指導の先生が、登場人物の若い年齢に、なったつもりで歌いなさいと、よく言われます。このミュージカルでは、男性は、自動車整備工ギーは20歳、女性はジュヌヴィエーグ17歳となっています。女性の母が雨傘店を経営している、設定になっています。  

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2017年 7月 2日(日)00時14分54秒
  ムジカおさらぎのホームページ「演奏会のお知らせ」に
「第34回鎌倉生涯学習センターフェスティバル」の報告を
載せました。

ここをクリックして、トップページを開いて
「演奏会のお知らせ」をご覧ください。
 

極愚劣・惨たるインパール作戦

 投稿者:YURA  投稿日:2017年 6月30日(金)13時15分51秒
    先頃読んだ戦記作家で、自身も報道班員の一員として上記作戦に従軍したという高木俊朗の「高木敏朗の遺言」という従軍記の中に、その情景を詳述しているが、私なりにその概要を以下に記してみたい。

  ビルマ方面軍隷下の第十五軍司令官の牟田口廉也中将が部下の三個師団を率いて意気揚々とこの作戦を発起させたのは昭和19年3月のことであった。

  それに至るまで、この作戦に対し各師団長はもとより友軍の飛行機師団長などあらゆる方面からの再三にわたる慎重論にも一切耳をかさず、それらすべて臆病と卑怯とにもとずくものと断固としりぞけた。

  作戦開始の前途には、密林に覆われた峻険なる山岳地帯が立ちはだかり、加えて間もなく雨季に入り豪雨によりその行軍を一層苦難のものとした。さらに英印連合軍はわが作戦を事前に察知して罠を仕掛けていたらしく、四方から効果的な銃撃を繰り返す。また敵の空挺部隊の活躍も目覚ましく、その機動性を十分発揮して食糧、兵器などの補給に、また負傷兵の送還にも大いに活躍していた。それに反しわが航空兵力は緒戦から次々撃墜されて全滅の状態。かくて彼我の戦力には甚大な格差が生じていた。そのためわが軍は食糧などの補給が次第に困難となり、雨に打たれながら餓死する兵が後を絶たなかった。

  戦傷兵とマラリアとか赤痢などの戦病兵を収容する野戦病院も密林の中に設営されていたが、食糧不足はもとより、傷と病気を治療すべき医薬品も底をつきその補給もままならず、手をこまねくうちに戦傷病死兵が次々と出るという悲惨な状況であった。

  戦い敗れて原隊に戻る道は俗に「白骨街道」といわれ、戦傷兵、戦病兵の倒れ伏す姿があちこちに散在していた。

  それにしても、この超無謀な作戦を強行させた司令官牟田口廉也中将が、戦後何故何らの刑罰を受けることなく生を全うしたことまったく不可解の一語に尽きる。



 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2017年 6月29日(木)08時54分33秒
編集済
  歌のサロンのページを更新いました。

6月の歌のサロン
ファゴット演奏 吉本 康さん :ピアノ演奏 矢島吹渉樹さん
ソプラノ独唱  工藤ななえさん :バリトン独唱 佐藤望さん
動画 アルバム スライドショーでお楽しみください。
ココをクリックすると歌のサロンのページが開きます。
 

七夕飾り

 投稿者:フーセン  投稿日:2017年 6月27日(火)10時16分25秒
  お仲間とランチの後に、「八幡宮に七夕飾りが始まったかもしれないから
行ってみましょう」とブラブラ散策。

今年は飾り方にひと工夫されて飾りの足元もすっきり。
飾られたばかりの様子、飾りが隠れないように??
松の剪定を急ぐ職人さん。

スマホで撮影の人・人、紛れ込んで私も。
 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2017年 6月21日(水)11時54分13秒
  ムジカおさらぎのホームページ「演奏会のお知らせ」に
「第34回鎌倉生涯学習センターフェスティバル」
のお知らせを載せました。

ここをクリックして、トップページを開いて、
「演奏会のお知らせ」をご覧ください。
 

甘~い香りが・・・

 投稿者:フーセン  投稿日:2017年 6月15日(木)15時47分58秒
  窓を開けるとここちよいかぜに甘~い香りが運ばれてきます。

開花のお知らせです。

お向かいの浄光明寺で「菩提樹」がたわわに花を咲かせました。
本堂より高く、枝は大き広がっています。
まだしばらくは咲いているでしょう。
お出かけになりませんか?

境内には泰山木、菖蒲、萩も少し咲いています。

鎌倉市扇ガ谷2丁目 浄光明寺です。



 

ジョークの鼓吹

 投稿者:YURA  投稿日:2017年 6月15日(木)13時26分14秒
   先日図書館で見出した、ある随筆集の中から秀逸と思しき、作家の飯沢 匡の標題の文章の一部に興味を覚えたので、その部分を以下にご紹介いたします。

  あのワンマンこと吉田茂元首相はジョークの大家であった。戦後アメリカから初の文化使節としてヴァイオリンの名手メニューヒンが来日した。私もこの神童とかって言われたメニューヒンの妙技に接すべく、なけなしの財布をはたいて駆けつけたのであったが聴いて大失望した。諺の通りかっての神童も中年になっては「ただのひと」に近かった。吉田氏は休憩時間に中座して帰ったが、翌日の記者会見で「昨夜メニューヒンのピアノを聴いてきましたよ」といった。ジョークの判らぬ記者は一斉に「首相はモーロクして、ついにヴァイオリンとピアノの区別もつかない」と悪口を紙上に書いた。しかしこれは高級なジョークで、吉田氏の評価の通リ確かにメニュ―インの伴奏者アドルフ・パラーのピアのは大したものであった。のちにパラーは独奏者として名を成したが、吉田氏はこのピアノを褒め、婉曲にメニューヒンのヴァイオリンをくさしたのであった。のちに退官してから吉田氏はこのジョークを挙げ、記者の没分暁漢(ぼつぶんぎょうかん・わからずや)ぶりを嘆いていた。これは私に言わせると換骨奪胎(かんこつだったい・自分流に仕立て直す)の巧妙なもので、あの劇作家のG・Bショウの逸話を知った上で吉田氏は自分流にアレンジしたものであろう。

  ショウの逸話は、ある富豪の夫人がピアノの天才という娘の演奏をこの劇作家に聞かせ、感想を求めた。多分褒め言葉を期待したのだろうが、ショウは「奥さん、お嬢様にはヴァイオリンをお習わせになったらいいでしょう」。これが吉田氏の頭に生きていたのではないかと私は思うのだ。
 

知らない町の探検隊

 投稿者:ぴろりん  投稿日:2017年 6月14日(水)12時49分4秒
  前々回の練習は私の知らない町
午後から入っていた予定との調整時間を利用して
気になっていた池あたりを探検

   気になっていた池あたりについては
   池のこと←こちらをクリックしてご覧ください

ホールに向かうエントランス脇から階段に続く通路をたどっていくと
     
行く手に通せんぼのチェーン

ダメなんだとがっかりしながら踵を返すとラッキー!
     
反対側の階段のチェーンが外されています
下りても良いと解釈してゴー♪

池の側まで階段を下りると正面に階段状の滝が見えました
階段のテッペンから水が列を成して池に流れ込んでいます
     
どうやら池の水は循環しているようです
水は澄んでいてアメンボがツィーッと気持ち良さそうに泳いでいました

やっと案内の掲示板が見えるところにやって来ました
     
掲示板にはたいした事は書いてなく
要はこの池に入ってはいけないという事だけでした

池の水は思っていたほど深くはなくて
池のまわりも下もタイルで覆われていて
まるでおしゃれなプールかお風呂といった按配です
案内板が必要な訳がわかりました

このもったいない空間は何のためなのかという疑問は解消されません
幸いなことに
池から歩道に出ることができましたので
グルリと建物の周りを探検してみることにしました

大きな案内板を発見!
     

なぁるほど・・・
この建物群の下は遊水池になっていました
しかも
このドーム型の風変わりで迷路のような建物はごく一部で
この建物群には様々な機能を持つスペースが集約されているようでした

遊歩道から眺めただけでも
手入れの行き届いた公園やベンチ
遊具が小さく見えるほどの広場
そして
遠くにマンションがたくさん

新しい町が少しずつ育って
一つの大きな町に成長して行く過程の一部

ほんのちょっとした探検ながら
私はいつの間にかこの町の住人になったような錯覚に陥っていました

さて
今度はどんな所を探検しましょうか?
蛍の季節
鎌倉八幡宮の放蛍祭も執り行われましたし
蛍雪時代さんに倣って近所の小川に蛍狩りに行きましょうか?

源氏ボタルと平家ボタル
どちらが先に飛ぶんでしたかしら?
 

更新しました

 投稿者:HP委員会  投稿日:2017年 6月 5日(月)11時45分1秒
  ムジカおさらぎのホームページ「演奏会のお知らせ」に
「第53回鎌倉合唱連盟定期演奏会」のお知らせを載せました。

ここをクリックして、トップページをひらいて、
「演奏会のお知らせ」をご覧ください。
今回は、ムジカおさらぎの演奏はありません。
 

更新しました。

 投稿者:HP委員会  投稿日:2017年 5月31日(水)17時12分39秒
編集済
  歌のサロンのページを更新しました。

5月の歌のサロン
チェロ独奏 愛の挨拶
ピアノ独奏 間奏曲
ソプラノ独唱 ラボエームより
バリトン独唱 闘牛士の歌
スライドショー アルバム 動画でお楽しみいただけます。
ここをクリックしてご覧ください。
次回6月7日の予告も載せてあります。
 

 投稿者:蛍雪時代  投稿日:2017年 5月27日(土)08時40分22秒
  蛍は何故か、ドクダミの花が咲くと飛び始めるようです。
昨日(5月26日)も、練習を終えて、家に帰り、庭仕事をしていたら、雑草の中のドクダミに花が咲き始めていたので、夜、近くの逆川に見に行きましたら、飛んでいました。
来週末までが見頃だと思います。 皆様も、ご近所で探してみて下さい。
鎌倉は、まだ、このようなところが残されていて幸せです。

註:逆川(さかさがわ=滑川の支流)は、鎌倉市大町で、一部分、南から北へ、本流とは逆に流れている部分があるので、このような名がついています。
 

変わりゆくスペイン

 投稿者:YURA  投稿日:2017年 5月26日(金)13時42分1秒
  先日読んだ、20数人による「それぞれのスペイン」という随筆集の中にあった、スペイン語、ポルトガル語の通訳、翻訳家の丸山恵子さんによる掲題の一編の中に記されたスペイン人の驚嘆すべき食欲ぶりに興味をそそられたので、途中からではありますが、さわりの部分を以下にご紹介いたします。

  私たちおとなは夕食に招待されることが多く、まだ日本人の女の子が今と比べて格段に少なく、物珍しさゆえに呼ばれる機会がたくさんあったものだから、ついつい夕食もばっちりとしかも夜10時頃から食べるし、この人たちのフルコースの料理の食べ方というと尋常ではない。まず腸詰やハム、オリーブの実などのおつまみがアペリティフのお酒と共にあらわれて、ころをみはからってスープやサラダやパスタ類が出てくるがこの量もひととうりのものではない。日本のレスでぃトランのたっぷり二倍はある。フランスパンはふんだんにスープやサラダとともに出てくるのに加えて、私の得意なパエーリャは単なる魚や肉のメインディシュの前座に過dぎないのだから参ってしまう。食べないと沈黙しているときと同じように「どうしたの、どこか悪いの。気分でもよくないの」と責め立てるので、他人を喜ばせるのを生きがいとする私は、ひたすら料理をつくった人々をがっかりさせないために食べまくってしまうのであった。

  そのあと、さいわいなことにアメリカなどと違って巨大なケーキはあまり出現しはしないのだが、果物が出てたっぷりワインを飲んだあと、ブランディーやコーヒーと共にチーズやチョコレートボンボンが出されて、男どもはブランディグラスを片手に葉巻をくゆらせ始めるのである。このようなわけで、一ヵ月に確実に一キロは体重が増えていった。つまり九カ月程度の滞在できっかり九キロ増えてしまったである。

  これは脅威以外の何物でなかった。もともと留学を短期間で切り上げたのも、これ以上いると、スペインの深みに足をとられて抜けられなくなるのでないかという恐れと、着るものが無くなってしまうという物理的理由によるものであった。〈以下省略〉

余談:10数年以前,家内同伴でスぺインを旅した時、夕食に供されたパエーリャに落胆,ペチャペチャの味で、格安のツアーの故と大いに情けなくなった。
 

三木稔の音楽

 投稿者:ヘ音記号  投稿日:2017年 5月25日(木)14時10分51秒
  今年は三木稔没後5年になる。彼の音楽を偲ぶ演奏会があった。それは三木氏創設による日本音楽集団第221回定期演奏会 (豊洲文化センターホール24日 )集まった三木稔フアンと、当日演奏の日本音楽集団メンバーの心が一つになった演奏会であった。

三木稔はなんといっても日本の創作オペラの第一人者。1975年に初演された「春琴抄」から2006年の「愛怨」まで、数多くのオペラを手掛けている。なかでも、1993年に鎌倉芸術館の杮落しで初演された「静と義経」など、懐かしく思い出される。台本は、なかにし礼で、3幕構成の充実したオペラであった。これは是非再演してほしい。静役は塩田美奈子と、宇佐美瑠璃が2日ずつ歌い分けていた。義経役は錦織健が全日歌い通した。しかも、我がムジカから合唱団に加わって活躍されたNさんが当時のプログラムに名記されている。そんな縁があってか、過去の鎌倉合唱連盟定期演奏会の講師として、三木稔氏から各団の演奏講評を頂いたこともあった。

ところで、上記24日の演奏会では三木氏以外にも、氏の影響を受けた作曲家三人の新曲が紹介された。例えば、アメリカ人、ドナルド・リード・ウォマックの「Three Trees 三木」は文字通り三木氏を三本の木に例え、第一楽章は生命の木として、再生力の強い桐材を使用した筝が主になる。第二楽章はきらめき揺れる竹林を表す尺八がアンサンブルの中心になる。そして第三楽章は堅木、すなわち硬い木を意味する琵琶の独奏に始まり、クライマックスの後、霧のように静かに終わる。ソロ奏者以外には尺八3人、二十絃筝3人、十七絃筝1人、三味線と打楽器2人といったグループに作曲者自身の指揮であった。

三木氏作曲の2曲は最初と最後に演奏された。一曲目の「二つの牧歌」では、横笛1名と打楽器2名で演奏。横笛は前半篠笛、後半能管と持ち替え。冒頭、笛と小つづみの強奏が勢いよく山里の朝を告げる。さらに、広い山裾の明るい一日が、若々しく太鼓や締太鼓で表現される。最後に演奏された曲のタイトルは「凸」。ここでは、奏者が三つのグループに分かれて演奏。舞台の左から高音尺八、十三絃筝、太棹三味線。中央に横笛、二十絃筝、琵琶。右に低音尺八、太棹三味線、十七絃筝と配置される。後ろ中央には日本太鼓が控える。こうして、演奏が左、右、中央と移り変わり、リズムも沸き立つ。曲の終りに近く、勢いよく打ち鳴らされる太鼓のリズムが腹に響いてくる。このように、見ても聴いても面白い演奏であった。このように、じっくり聴いた三木稔の音楽は我々の心にしっかりと息づいているのを感じた。
 

知っているハズの町探検隊(鎌倉編)

 投稿者:ぴろりん  投稿日:2017年 5月15日(月)00時58分31秒
  お散歩日和が続きます。
テクテクテク
お買い物ついでに筋トレを兼ねて町歩きを楽しんでいます。

鎌倉市街中央部を流れる滑川
川の流れがグィッとカーブしている場所。

かつては幅の広い中州が出来ていましたが
特にここ数年は津波や洪水対策と称して川の管理が厳しくなり
中州が出来てもすぐに修復されています。

以前は、この中州ではカメの日向ぼっこや産卵の様子を見ることができて
楽しみにしていたものです。

夏めいた日が続いて橋の上から中州辺りを見ると狭い中州にカメが戻ってきていました。

   

ただいま!
首をグィッと伸ばして辺りを見回しています。
お散歩がずっと楽しくなりました。

みなさんの周りにも見ているようで見ていない風景がたくさんあると思います。
見つけたらぜひ教えてください。

鎌倉探検隊
お散歩がもっと楽しくなりますように・・それからお買い物も♪
 

「食は命なり、運命なり」

 投稿者:YURA  投稿日:2017年 5月11日(木)13時29分2秒
編集済
   私が先頃読んだ「こころ揺さぶる、あのひと言」という、各界の著名な人達になる随筆集の中から、特に感銘を受けた掲題の内容を一部ながら以下にご紹介します。なお著者は医学博士、管理栄養士の本多京子さんです。

  「食は命なり、運命なり」。私の生き方の座標軸になるのがこの言葉です。

  この言葉に出会ったのは、二十代半ば、栄養計算の帳尻合わせで献立を作成することに魅力を感じることが出来ず、自分の立ち位置もここではないと悩んでいた頃でした。

  その時、恩師の勧めで読んだ江戸中期の「観相学」の大家、水野南北の著書に「運命の吉凶禍福はみな食べ物に由来する」とあり、茶をふるまい、食事を共にして心を見抜き、運命判断をしたとありました。

  さらに、フランスのブリア・サヴァランが著した歴史に残る名著「美味礼賛」の中にも、「あなたが毎日どんなものを食べているか聞かせてほしい。そうすれば私は、あなたがどんな人かズバリと当てて見せよう」というのがあり、私も「食占い」の専門家を目指そうかと思ったものでした。


  私たちは、人生八十年としておよそ八万七六○○食・・食べることで命を支えています。約六〇兆個の体細胞の材料はすべて食べ物から、そして生命活動や精神活動のエネルギーもすべて食べ物から得ています。そのため中国最古の薬学書といわれる「神農本草経」には、命を養う不老長寿食は上薬、体を養う養生食は中薬、病を治す治療薬は下薬とあり、食べ物が病気を治す薬より上位に分類されていました。〈以下省略〉

追記:これを読むと、私共が毎日三度三度何気なく食べている食事がいかに大切かと思い知らされ、十分吟味して摂取しなければならいとの思いを深くする次第であります。

 

GWはラ・フォル・ジュルネで・・・

 投稿者:ヘ音記号  投稿日:2017年 5月 6日(土)13時41分48秒
  今年のGWは残り1日。どうお過ごしでしょうか ?
今、東京国際フォーラムで開催中のラ・フォル・ジュルネには、5日に行ってきました。今年のテーマはラ・ダンス、舞曲の祭典と銘打って、3日間で350公演。5000席のAホールから153席のGホールまであり、その中で1492席のCホールが行ったところです。公演内容は、ローザンヌ声楽アンサンブル演奏によるブラームスの「2つのモテットop.74」「愛の歌ーワルツop.52」「運命の歌op.54」でした。これは絶対聞き逃すわけにはいきません。結果は期待どおりでした。

毎年評判の音楽会なので、チケットはわざわざ国際フォーラムまで買いに行きました。満席を予想していたのですが、当日は、若干空席ありといったところでした。11時30分開演で12時20分まで、休憩なしでした。スケジュールを見ると、他の公演も1時間足らずで入れ替わります。そのせいか、アンコールなしでした。

ローザンヌ声楽アンサンブル (混声4部 30名 )は1961年にミシェル・コルボが創設した合唱団で古楽から現代曲まで、数多くの名演奏を残しています。現指揮者はダニエル・ロイスで、たいへん、きびきびしたスタイルの指揮者でした。

ア・カペラで歌われた1曲目で「何ゆえ悩む者に光が与えられたのか」と早くも透明感のある声が会場を包み込んでしまいます。「愛の歌」は原曲どおり、4手連弾の穏やかなピアノ伴奏に乗り、レントラー風の軽快なワルツで歌われます。18曲のワルツはどれも短く、恋愛の機微がおおらかに歌われます。テノールとバスだけとか、ソプラノとアルトだけの曲も・・・。中にはソプラノソロで「私のいのち、私の愛する人と」とか、テノールのみで「歩きまわるんじゃない、僕の光明よ」なども混じります。「運命の歌」の原曲はオケ伴ですが、やはりこれも4手連弾で演奏しました。初めに天上の世界の平和、続いて地上の人間の不安、ピアノだけの後奏と、静かに終わりました。

終演後はとてもいい気分で東京駅まで歩き、ゆっくり軽食をすませ、3時半に帰宅しました。たいへんよい一日でした。
 

/129