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野際陽子のドラマ初出演は『悲の器』

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2017年 6月28日(水)18時13分31秒
返信・引用 編集済
  テレビ朝日系の好評の昼ドラ「やすらぎ郷」(毎週月曜12:30~12:50)は倉本聡オリジナル作品。
これまでテレビ界に貢献をしてきた役者、監督、脚本家だけが老後に無料で入れる海辺の老人ホームに展開される波瀾の日々が面白い。
先ごろ亡くなった女優の野際陽子が、目下、好演(生前に収録済み)している。

その野際陽子のドラマ初出演は高橋和巳の『悲の器』であった。
1963年7月5日、出演は佐分利信らで演出:大山勝巳、TBS制作。
野際陽子の役は佐分利信の教え子としてで、NHKアナウンサー上りの新人、野際陽子が選ばれたらしい。

当日、高橋和巳は立命館大の文学部専任講師として夜の授業を受け持っていた。
しがって、その放送ドラマは見ることができなかった。
高橋和巳は文藝賞を受賞後の多忙を極めていた。
授業はよくサボリ、教授会もサボリ、文学部長の奈良本辰也は「二足のワラジははける」といい、助教授の梅原猛は何かと激励していた。

高橋和巳の梨木神社脇の研究室や吹田のアパートによくいっていた私は、しかとそのドラマを見て、すぐ感想文をしたためておくった。
後日、「授業がありテレビを見ることができず残念だったが、原作の意をくんだドラマだったと思っている」との返書があった。

今となっては、佐分利信いがいの出演者の記憶はまったくないのだが。
 
 

お礼

 投稿者:名古屋市在住63才  投稿日:2017年 3月 5日(日)19時11分11秒
返信・引用
  私の拙い文章に対してご丁寧なおたよりを頂き、ありがとうございました。太田様におかれましては、季節の変わり目、どうかご自愛ください。  

熱い感覚に

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2017年 3月 2日(木)15時14分42秒
返信・引用
  名古屋からのメ-ル、ありがとうございます。
「高橋和巳短編集」(阿倍出版1991年)を手にとり、「久しぶりにとても熱い感覚が生じました」とのことで、嬉しくおもいます。

あの短編集は高橋和巳没後20周年ということでまとめられました。
いずれの作品も、高橋和巳が文学デビュー前の同人雑誌に発表されたものですね。
「序にかえてーー高橋和巳の小説」として、梅原猛先生が執筆。
小生はその解説「孤高の修羅」を担当しました。

そして、「りっちゃん」であるというのも感激。
懐かしい母校のことばーー私は60~70年代広小路キャンパス派ですが、激動の時代がよぎってゆきます。

どうぞ、またお気軽にお立ち寄りください。
 

感動しました

 投稿者:名古屋市在住63才  投稿日:2017年 2月15日(水)22時25分45秒
返信・引用
  この度図書館にて「高橋和巳短編集」(阿部出版・1991年5月3日初版発行)を借りて読みました。太田様の解説に感動しました。久しぶりにとても熱い感覚が生じました。これから、私が所有する高橋和巳の全長編をじっくり読み返したいと思います。余談ですが、太田様は、りっちゃんの先輩でいらしたのですね。これもうれしいことでした。とりとめもない内容になってしまい、申し訳ありません。少しでも高橋和巳のファンが増えることを祈って。  

新春をお慶び申し上げます。

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2017年 1月 3日(火)14時52分20秒
返信・引用
  謹んで新年のお祝いを申し上げます。
昨年は何かとお世話になりまして、ありがとうございました。
おかげさまで良き新年を迎えることができました。

本年も昨年同様よろしくお願い申し上げます。
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします
 

田中寛氏と打ち合わせ。

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2016年12月15日(木)13時31分31秒
返信・引用
  暮れも押しせまった。
12月14日(水)、朝の冷たい雨が昼前に止む。
池袋に出る。雑司ヶ谷、目白台、SEIB、パルコ、サンシャインシティなど往時茫々。

在外研究でロンドンより帰国した大東文化大の田中寛氏とあふ。
夏目漱石の足跡をもとめスコットランドまで踏査、その漱石論をしばしうかがふ。

そして昼食後の打ち合わせで、「高橋和巳記念論集」編集につき詰める。
これまでのピックアップされた論考や資料の検討、
内容の輪郭・概要はじめ一つの方向性をお互いに確認することができてよかったとおもう。

「誰かがやらねばそれこそ埋もれてしまうばかり、けじめをつけるべき事柄は数多い」
との言にうたれる。
大部な高橋和巳資料を整備している君の研究姿勢、その情熱に感服。
不肖は取り急ぎBBS配信(第1回:2004年5月17日~)のものを纏めるべくおもっている。

「三十九歳で早逝した天才作家のあの名作がついに甦る」河出文庫。
『悲の器』が亀山郁夫絶賛、『憂鬱なる党派』を内田樹、小池真理子絶賛、『邪宗門』を佐藤優が絶賛刊行中とは恐悦、慶賀のいたりなり。
 

「高橋和巳記念論文集」を

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2016年 9月 5日(月)16時47分6秒
返信・引用 編集済
  URLへの移転作業も完了、新たな「高橋和巳サイト」の発信、誠にありがとうございます。
容量も増加し、写真や資料の掲載も可能ということで、より充実したサイトを展開していきたく、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

田中寛氏(大東文化大学外国語学部教授)の提案により、目下、『高橋和巳記念論文集』の編集企画を検討立案中です。


「『高橋和巳没後四五年記念論集』(仮称)の刊行を呼びかけます。
今年2016年5月3日、高橋和巳没後四五回忌を迎えました。
今、高橋和巳(1932-1971)の名を知る世代は減少し、文芸誌にも忘れられた作家、文学者として封殺されています。

最後の思想小説家高橋和巳が日本経済の高度成長期に遺した文学の遺産とは何か。
文学の形態が激しく変容するなか、「文学の責任」とは何か。

――時代の破局の予兆を前に、わたしたちは何を彼によびかけ、何を学び、どう継承すべきか。
ともに議論する場にしたいと念じます。

皆様のご理解、ご支援をお願いいたします。

A4サイズ横書き、縦書きいずれも可。
投稿・寄稿者により四六判縦書き(44字×18行)で400~500頁を想定」

『高橋和巳没後四五年記念論集』(仮称)刊行準備委員会事務局
大東文化大学外国語学部田中寛研究室
〒355-8501 埼玉県東松山市岩殿560
 

URL 移転いたしました

 投稿者:薄氷堂  投稿日:2016年 9月 3日(土)09時51分6秒
返信・引用 編集済
   昨日ご案内した URL の移転作業が完了いたしました。心配していた当掲示板の記事一部消失
もなく、まずはホッとしております。

 今のところサイト内のリンク切れなどはないようですが、もしお気づきの点がございました
ら、どうかご指摘くださいますようお願いいたします。

 十年ぶりに公園を歩いたら、昔と同じ場所に同じベンチが置かれていた……とまあ、この掲
示板もそんな存在かもしれませんね。しかし歩き疲れた身体にとって、古ぼけたベンチにはい
ささかの価値があると信じます。

 なおサイトの容量が大幅に増加しましたので、写真や資料などをご提供いただければ、サイ
ズを気にせずに掲載することができます。また新しい企画のご提案があれば、微力ながら積極
的に対応させていただきたいと存じます。

 今後とも高橋和巳を語る会のサイト・掲示板をご利用くださいますよう、よろしくお願いい
たします。

http://hakuhyodo.txt-nifty.com/smokingroom/

 

高橋和巳を語る会のURLが変更になります。

 投稿者:薄氷堂  投稿日:2016年 9月 2日(金)21時11分47秒
返信・引用 編集済
   日頃当掲示板をご利用いただき、厚く御礼申し上げます。

 さて Niftyの現ホームページ・サービスが9月29日に終了し、新サー
ビスに移行することになりました。これに伴い、「高橋和巳を語る会」
のホームページを近日中に移転いたします。

 移転後現在のページにアクセスすると、移転通知が表示されますので
ご不便はおかけしませんが、新 URL は下記のとおりですので念のため。
(移転通知が表示されるまでは未整備であるため、サイト内でリンク切
れ等の症状が出る可能性もあることをお断りしておきます)

 http://hakuhyodo2.art.coocan.jp

 なお当掲示板の URL に変更はございませんが、ホームページ移転後
に2015年12月以降の投稿が消えてしまう可能性があります(理由は不明
ですが、私個人のHPではその症状が現れました)。その場合は管理者と
してご投稿を復元するつもりですので、あらかじめご了承ください。

http://hakuhyodo.txt-nifty.com/smokingroom/

 

女ーー文壇的余韻

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2016年 4月 3日(日)15時09分10秒
返信・引用
  過去の文壇的余韻を残していた人といえば、我々の同時代でも高橋和巳という人がいました。
この人なんぞは、半分ぐらいは意図的に自分の女性関係や私生活について語る。
七〇年安保紛争の最中、早稲田の短歌会に私と高橋和巳で一緒に行ったんです。

(略)壇に上がるなり、
「じつは朝まで女と寝ておりまして、まだ頭がボーッとしているので、ろくなことが言えません」と、始めたわけです。

文士というものは常識があっちゃいけない、まともな社会人であることは恥だ、というような感覚がどこかにあって、その気風がずっと糸を引いて。

山崎正和(『アスティン』78号 2013年5月)
ーー丸谷才一を偲ぶ:山崎正和:三浦雅士対談

http://www.uranus.dti.ne.jp/~ohta/

 

田中博明のこと

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2016年 3月29日(火)20時12分47秒
返信・引用 編集済
  埴谷雄高著『戦後文学と酒』(講談社学芸文庫)の高橋和巳の項に田中博明がでてくる。
田中博明はわれわれが京都で「対話の会」をやっている頃、夕陽のガンマンがどうのこうのと面白い発想をする男だった。
京大を出て岩波書店で田中分美知太郎全集の仕事をやっており、アメリカ留学前の林廣茂と三人で神田で2、3回飲んだ。

川越に住んでいるやうで埼玉文芸賞(埼玉教育委員会)評論部門で受賞、パーティで一緒になったこともあるのだが、思へばその後づっと会っていない。

立石伯(当時法政政大学教授)とは小笠原賢二の通夜に会ったのだが、
「太田代志朗さんは演劇のほうのことをやっているように聞いていました」
というのも、悪意のある流れがあったやうで今もって何のことか分からないでいる。

http://www.uranus.dti.ne.jp/~ohta/

 

作田啓一氏逝去。

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2016年 3月19日(土)05時45分14秒
返信・引用
  京都大名誉教授の作田啓一氏が15日、肺炎のため死去。94歳だった。
故人の遺志で葬儀は行わない。
社会意識論や大衆社会論で知られる社会学者で、1969年の京大紛争でエスカレートする暴力に抗議し、
「無力な私は、私自身を苦しめるほかはない」と、2月の厳冬期にハンストを決行した。
もとより面識はないが、書庫からその著書を取り出し合掌。

高橋和巳は『わが解体』でそのストライキのことを痛切に書いている。
学園紛争の対立が激化する中で、高橋和巳は作田啓一のハンストの見舞に立ち寄るが特にいふべきこともない。
妙に見交はす「具合い悪い対面」に終始したのだった。

「オーバーを着たままマットの上に体を傾めに横たえておられたが、憔悴しきった作田啓一教授に学生はやいやいのと語りかけており、そして私にできたことは、自分のとまり込み用の膝掛けを置いてくることしかなかった・・」と。
知の主流の無力感と苛立ちがにじむ。

高橋和巳は動揺し混乱していた。
この運動のくだらぬことが”肉体的破産”をよぶ。
学校当局や学生との折衝に根もつき、深酒を仰ぎ、嗚咽していた。
それが京都に舞ひ戻った運命だが、いや高橋和巳は移り住んだ鎌倉や東京で文学放蕩に身をやきくづしているべきであったらうに。

http://www.uranus.dti.ne.jp/~ohta/

 

日録より

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2015年12月25日(金)18時44分7秒
返信・引用
  12月24日(木) 鎌倉散策。憂憤と解体の幻の家よ。
風なく晴天。穏やかな陽射しに誘はれ、ふと思い立って鎌倉散策。
大宮からJR湘南新宿ラインで1時間。2年振りの町をぶらぶらしてくる。
人で賑う小町通りから鶴岡八幡宮を参詣し、その右回りに道をのぼっていく。

鎌倉市二階堂748ーー首塚の脇にあった憂憤と解体の一軒家。
1971年5月、あの時から私は”黄昏の橋”をじっとみつめてきたのだったか。
往時の面影は何一つなく枯葉が舞ひ、時がむなしく流れる。

いったん瑞泉寺へ向けた脚を返し、人混みの小路の奥の小体の店に入る。
話す相手なく1本空けてでると日がすっかり暮れている。
ーークリスマス・イヴ。夜天に月煌々。

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高橋和巳・高橋たか子基金(日本近代文学館)。

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2015年11月19日(木)14時50分10秒
返信・引用
  「日本近代文学館」館報第268号(2015年11月15日)より。

高橋たか子遺贈。
「九月四日 故高橋たか子氏より多額の遺贈をお受けした。
これにつき右の理事会(注:坂上弘理事長、荒川洋治、紅野謙介、出久根達郎理事ら)において、2001年度に同氏のご寄付により設立された「高橋和巳・高橋たか子基金」に加えることが決まった。」

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山崎正和氏の暮らしの光景

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2015年10月 2日(金)19時41分55秒
返信・引用 編集済
  戯曲および民芸座公演『世阿彌』(1963)はおもひだすだに感動的だった。
爾来、以来、山崎正和(1934~)著作については殆ど読み、その知見に注目してきている。
同氏は自宅の近くの有料老人ホームに、先住の故谷沢永一氏の薦めにより入居。
最初は別荘代りだったが、今では常住のかたちになっているといふ。

快適なレストランやラウンジ、スポーツ・ジムや温水プール、麻雀・ビリヤード室あり。
大ホールでは合唱の練習にはげむグループあり。
また1フロアを占める大きな病室があり看護・介護師が世話をしている。
ホームの使用権を買ふので所有権はない。
しがって資産は皆無である。
自分の人生は一代限り、住人はさうした決断と覚悟をもっているといふ。

「末期の面倒をかけない」と、「身辺は高齢化社会を絵に描いたような光景」らしい。
碩学の生活はかくありなんか、と思ふ。
ちなみに館内の図書室には、入居者が寄贈した高橋和巳の著作が目立つ。


(資料:日本文藝家協会編『ベスト・エッセイ 2015』 山崎正和著「ある有料老人ホームの光景」)

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なぜかマルドロール、栗田勇ーー平伏せよ人類よ。

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2015年 8月27日(木)15時38分5秒
返信・引用 編集済
  なぜか『ロートレアモン全集』を読む。
このロマン派の感傷性、高踏派の客観性、象徴派の意識性。
訳は栗田勇、人文書院1968年5月初版発行。
『マルドロール全集』3巻は、10年前にユリイカ書肆よりすでにでていた。

親交のあったAが京大仏文に入るとすぐボードレールの原書に取り組んでいた。
不肖は三流私大の哲学専攻で怠惰の日々をきめていた。
畏友小松辰男(現代劇場主宰)や京大の田辺繁治らが日大芸術学部の連中と『鎖陰』(監督:足立正生)を祇園会館で世にもスキャンダラスな上映にこぎつけやうとしていた。

入洛した寺山修司と河原町の六曜社であったのはその1カ月前のことだった。
寺山修司は拙作の戯曲『小喝食』のモティーフから放送劇『海に行きたい』を書き上げていた。

同人雑誌『対話』に入り、私は本格的に小説を書こうとしていた。
なぜか澤田潤(京大仏文、「VIKING」同人)が祇園のクラブによく連れていってくれた。
その流れの中で会った生田耕作に、
「ぼくは高橋たか子の騎士(ナイト)でありまして・・・・」
とほざく若者に生田さんは黙って酒を注いでくださった。

映画『鎖陰』上映前夜、その上映委員会メンバーから四條の居酒屋”静”に私は呼びだされたのだった。
そこに、おもいもかけず、どういうわけか、栗田勇がいた。
熱狂の60年代が鮮烈に染めあげる彗星の幻をみるやうなひひとときであった。
さりとて、栗田勇がフランス文学者とし何ほどのことかしっていたわけでない。

そして、時は蒼ざめ、巷のほそい迷路をぬけ、酔いどれのやうに流れた。
ミシンと洋傘との手術台の上の、不意の出会いのやうに美しいーー世界よ。
ーーマルドロールの歌の何かも分からぬ老生に、なほも汚辱の詩句がのしかかる。

 平伏せよ、人類よ。
 血が怒濤となって身体じゆう流れる。
 やっと、現実がうつつの夢をやぶってくれた。
                            栗田勇訳『マルドロールの歌』

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極私的エロスの遡行

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2015年 8月21日(金)11時25分3秒
返信・引用
  夏8月、終戦記念日がやってくる。
たまたま川村湊著『戦後批評論』(講談社)を紐とく。
冒頭「われらにとって美とは何か」の服部達(l922~1956)のことにふれている。
服部達はメタフィジックな言語論的批評の先駆をなし新進気鋭の若手評論家として活躍。
こうした中で、「現代評論」を刊行する。
同人に奥野健男、島尾敏雄、村松剛、遠藤周作、日野啓三、清岡卓行、吉本隆明がいた。
あはせて進藤純孝の『文壇私記』を読むと、当時の文壇状況がよく分かる。

文芸ジャーナリズムを沸かせた服部達は八ケ岳山麓において失踪自殺した。
服部達の遺書である「最後の日記」、および村松剛の「服部達のこと」は、
当時右派左派両翼を切って毎号話題沸騰の綜合雑誌「知性」(1956年3月号:河出書房)に掲載された。

綜合雑誌「知性」編集部には山口瞳、古山高麗雄、竹西寛子らがいた。
だが1957年河出書房倒産により、その「知性」ブレーンを率いて小石原昭氏が知性社、知性アイデアセンターを創業。
現在の知性コミュニケーションズにいたる。

ちなみに京都における放浪苦悶の生活を切り上げた不肖は1968年3月上京、
ここに1995年5月まで糊口を凌ぐ。

激動の日々、文学・文芸主義を断裁した風景に共振することだった。
いや、それこそ酔狂な文学的深層としての反語であった。
言語の美への殉教であり、エロスとしての悲劇的遡行であった。

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極私的戦後批評の風景

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2015年 8月10日(月)21時28分38秒
返信・引用
  夏8月、終戦記念日がやってくる。
たまたま川村湊著『戦後批評論』(講談社)を紐とく。
冒頭「われらにとって美とは何か」の服部達(l922~1956)のことにふれている。
服部達はメタフィジックな言語論的批評の先駆をなして活躍。
新進気鋭の若手評論家として「現代評論」を刊行する。
同誌の同人は奥野健男、島尾敏雄、村松剛、遠藤周作、日野啓三、清岡卓行、吉本隆明であった。
あはせて進藤純行の『文壇私記』を読むと、当時の文壇状況がよく分かる。

文芸ジャーナリズムを沸かせた服部達は八ケ岳山麓において失踪自殺した。
服部達の遺書である「最後の日記」、および村松剛の「服部達のこと」は、当時右派左派両翼を切って毎号話題沸騰の綜合雑誌「知性」(1956年3月号:河出書房)に掲載された。

綜合雑誌「知性」編集部には山口瞳、古山高麗雄、竹西寛子らがいた。
だが1957年河出書房倒産により、その「知性」ブレーンを率いて小石原昭氏が知性社、知性アイデアセンターを創業。
現在の知性コミュニケーションズにいたる。

ちなみに京都における放浪苦悶の生活を切り上げた不肖は1968年3月上京。
ここに1995年5月まで糊口を凌ぐ。
激動の日々、文学・文芸主義を断裁した風景に共振することだった。
いや、それこそ酔狂な文学的深層としての反語であり、エロスであった。

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鶴見俊輔さん逝去ーー日録

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2015年 7月24日(金)21時28分46秒
返信・引用 編集済
  07月24日(金) 鶴見俊輔さん(1922~2015)が逝去された。93歳。
60年安保、べ平連と流れる過剰な時代の中で、編集されている『思想の科学』を時々むさぼり読んだ。
京都に舞い戻って元気な高橋和巳が「鶴見さんをよぼう」といった。
同人雑誌「対話」の読書会の案内をはかろうとしていた。

そうしたある日、同誌社大学の研究室に鶴見さんを私は訊ねたのだった。
思想を生きること、文学に殉じることのおおぎょうさとは別に、鶴見さんはソフトに対応してくださった。
何でも菅野スガなど近代女性史の研究があるのでこのグループに出てきませんか、ともいってくれた。

戦後の知識人としての柔軟なそのりべラルな行動プログラムが時代を切りひらいていった。
だが、あの時感じた身の温かみやちょっとした仕草のかもしだす優しさこそが、その思想のかがやきであることを若輩はまだ何一つとして知らなかった。
いや、愚直な文学的幻想とはさうしたものであったのかしれない。

慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

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季刊『悲の器』の創刊準備。

 投稿者:太田代志朗  投稿日:2015年 7月 7日(火)18時53分13秒
返信・引用 編集済
  文藝季刊誌『悲の器』を出したいと思っている。
懇意につきあっている編集者の従容もあって、是非、実現したい。
誌名の「悲の器」はまぎらわしく、おかしいとの1部の意見も聞いているが、これは絶対に悲の器でいきたい。
構想し、考え、不甲斐なく、あれこれ逡巡している。

高橋和巳研究会を各位の了承とともに設立したものの、その後の交流、研究、懇談会など多彩なプログラムを考えながら、何一つ具体化していない。
ひとえに不肖の責任であり、怠慢であり、ここに深くお詫び申し上げます。

季刊『悲の器』は、高橋和巳研究会メンバーの活動や近況の報告をはじめ、高橋和巳にまつわる小論でまとめていきたい、とおもっている。
むろん、同志の参加も大いに歓迎したいし、同志はもとよりわが研究会メンバーである。

悲哀の文学論が、いや何気ない日々の風のそよぎや、四季の花々の香りがつづられればいい。
ここに、お互いの情念の地平を展開していこうでないか。
憂鬱なる党派は解体し、黄昏の橋は崩れ、邪宗の門は永遠に開かれないのだ。

A4判・ソフトカバ-、最初は30ページでも、50ページでもいいではないか。
印刷編集費(資金)を用意しようとおもい、非力ながら未だすすまないでいる。

この文学不毛の時代において、われらの情的言語による饗宴をもとう。
各位の同意を得て執筆メンバーについては、広く呼びかける。
諸兄のご協力を切にお願いする次第である。

http://www.uranus.dti.ne.jp/~ohta/

 

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